戯言。嫌いな人に対する対応方法。

徒然草2.0

嫌いな人。

私が嫌な振る舞いをする人が、昨晩の夢に出てきた。

そして、その人が夢の中でも私が嫌な振る舞いをするのだ。

…なんて嫌な人なんだろう?と「嫌いだ」と思う気持ちを強めた一方で、何でこんな夢をみるまでにこの人は「嫌な人」なのだろうか?と思う。

この人が私が嫌いな振る舞いをするのにも、いろんな事情があるというのは分かっている。だが、夢が増幅装置になってさらに私がその人を嫌いにさせる(私にとって心理作用というものは、私の内部にあるものではなく、私の外部にあるものだと思っている。頭の中で再生される、ただの映像に過ぎない)だから、問題なのは、私自身がこの人を嫌うこと=嫌わせる映像が脳内で再生されることのほうが問題に思えてくる。(だから、心の中にしまい込まずに書いてしまほうがいいんじゃないかなという理由で書いている)

そういえば高校や専門学生ぐらいの時がそうなのであるが「嫌いな人」がいなかった気がする。人間関係が希薄だったというだけかもしれないが嫌いな人は避けて生きることができたのでそういう意味で人間関係においてはかなり自由な選択ができた。

それがいいんじゃないか(理想の生活が送れていたのではないか)というきもしている。しかしながら今もわりかし色んな面において人間関係が希薄なのだがw、それでも嫌いな人がいる。

あれ、おかしいな?もっとスカッと生きたいのにな。…いずれにしても「嫌いな人」というのは、自らによって作り出されるものなのではないか。

誰かによってなのか、システムによってなのか、色々有るが最終的には自分自身が「あの人は嫌いである」と定義することによってなのか、嫌いな人が生まれるのではないか?という気がしている。嫌いな人がいないとすごい居心地がいい。いるとダメ。単純だ。嫌いな人は、私自身に不利益を被らせることが得意なので、できればいないほうがいいにきまっている。「嫌いな人」を「好きな人」に変えるのが無理でも、人を嫌う原理を理解した上で無効化することができるんではないか?人を好きになるというのが、自分自身の心理作用として作り出されたものに過ぎないのであれば、不快な嫌いな人も同様に無効化できるはず。

…というよりもとは好きも嫌いも幻想に過ぎないし、人生のトッピングにはなるかもしれないので、そういった無用な執着は全部リセットするより他にないのではないか。世の中は嫌いな人がいるもんで、うまくやるのがいいとかいうけど、そうじゃない気がしています。場所を変えて嫌いな人を遠ざけられないからこそ人は苦しむこともある。ま、それはさておき。

「嫌いな人」の脳内映像再生にその人の事情の部分に自分がうまいぐあい介入してその人を許してあげるようにしたらいいのではないか?なんてことを企画(?)している。記憶は少し加筆すれば書き換えられる。現実での悪循環もわりとアプローチを変えるだけで乗り越えられる(気がしている)シナリオを自分の都合が良いように何度も何度も書き換える。「嫌いな人」が悪意に満ちた人でないかぎり、自分で書き換えたシナリオを上書きし続けることなんてまずないはず。相手がやっきになって「嫌な人」になるなんてことはまずないし、そうなる場合は嫌な相手と共依存関係にある可能性があるので、物理的に距離をおいた方がいい。

そんなことを考えた。

徒然草2.0
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