戯言。入れ替わりの時期がまちどうしい。

徒然草2.0

親指の爪ほどのサイズもないチップに人間の脳みその記憶容量が入ってしまう。しかも人間よりずっとそのデータは正確に保持される。

しかしながら多くの人は、自分の存在が唯一無二の価値があるものだと強く信じている。一時の快楽、永遠の苦痛、過去の経験という記憶の産物=データに過ぎないものを後生大事にしたいとか、いっちょ前に物を言ったりする。

むべなるかなと言えばその通り、自分もその多くの人に過ぎないわけだけど、どうも年季が入った体との相性がしっくりこないと、チップをぷすりと引き抜いて、新しい体へ差し込みなおせたらどんなによいのだろうかとか妄想する。

いやむしろ人は造作もないそういう仕組になっていて、チップがたまたま自分の体にささって肉体的な自分をやらないといけないのだとしたら?

いや、むしろそういう仕組みであるほうがずっと自然ではないだろうか?

世界の片隅で生まれて、五感を経て記憶を蓄積したものを、誰かに残すこともなく孤独に死ぬ…ってさ、あまりにもいけてないシステムじゃあないですか。

なんでみんなそんなふうな考えを受け入れているんだろう。

…そんなお粗末な仕組みになっているほうが、おかしくないですか。

他人にチップを差し替えて、別の人生を生きていけるほうが自然だから、きっとたまたま自分は自分なんだって…。たぶんだれかにチップをぷすりと…刺されたんじゃない。たしかに脳みそがあってもその記憶はどこからか注入されたもの。記憶は注射器の中の液体のようなもので簡単に注入できるんじゃあないのか?

そう、思いたいだけ。

そう思って、自分は義体なんだって、思っていたほうが楽だから、自分は本番じゃあないんだ。ただの義体なんだ。そう思っていれば楽でしょう…って自分を揶揄する気持ちもある。本音をいったら頭おかしいやつにされて間違いないけど。

でもまあいよいよ年をとってきて、自分の中の頭おかしいやつがいう言動の方が、正しい気がしているから、いやはや…厄介なんです。

自分はどっからこの肉体にはいってきて、いつ誰かが別の誰かに差し込み直してくれるんだろう。

まちどうしい。

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