戯言。カントの道徳的な善い行為について1つ分かったこと。それは「自分のルールを守ること」

徒然草2.0

ゴールデンウィークで、ある理由からイマヌエル・カントの本を読んでいる。

私達が、ある理由でカントさんが気になるように、何か行為を為す時には動機がいる。逆に動機がないのに何かをしようとするのは、なんだかおかしい。

自分の意志とは関係なく、手が動いてしまうのであれば、理性に関係ない作用に過ぎないわけだ。

…で、ふつう私達が直感的に動くにせよそこには、言語化されない動機=理由があるし、言語化される理由があれば、それは論理的に行為しようと思って行動することだ。

…ところが、理性的に連綿と考えてみたところで(これは理性の働きで推論と言うのだと思うが)原因の0ポイント…すなわちスタートの部分で確固たる理由がないと、正しいことを証明することができない。

例えば、人間には自由意志があるのかどうかとか。

善い行いをする心の動きが、自然法則のような決まりで為されていたら、そもそも善い行いをしていないことになる。

ロボットがプログラム通り人を救っても、お猿さんが人に訓練された通り動いて人を助けても、それは道徳的な行為ではない。

善い行いをしているのならば自由な意思を持って行動していなくてはならなくなる。というわけで、道徳的かどうかを推し量るためにはまず自由意志が有る必要があるのではないか。

…このように、道徳的に善い行為を定義しようとすると、ややっこしい問題にいくつもぶち当たる。

カントさん曰く、報酬が貰えるという理由で人を助けても、それは道徳的な善い行為ではないという。

お金が欲しさから人にやさしくするというのは、言われてみれば確かに違和感がある。

それじゃあどうすればいいの?という話になると思うが、カントさんの哲学は具体的な話は断片的な言説に留まり、全体の関連性も分かりにくいらしい。

カントさんの哲学は難しいとか分からないと言われるが、なぜそう言われるのかもよく分かっていない。

第一に彼の本はとても読みにくい。

岩波文庫の実践理性批判があったが、あまりに意味不明すぎて廃品回収に出してしまった。電子書籍で買い集めるにしても軽く数万はかかりそうだ。純粋理性批判だけでも、1000円ぐらいから数千円だ(翻訳によって異なる)

というかカントの難しさは、同じく難しいと言われるハイデガーなんて目じゃないと思う。

ハイデガーは文法的には何某かを語っていることが分かるが、カントの場合はもう単語の定義とか、そのへんから意味わからんのオンパレード。

そんなんだから、そもそもカントのここが分からないというポイントを人に説明することすら難しい。

ただ難しいのにも関わらず、とっても人気な哲学者だ。

少なくともカント哲学はカントが生きていた頃にも評価されており、今もなお評価されている。

評価されている古典は、読んでみたい、そしてその意味を理解したい。

ただ読めるだけなら、いつでも読めるが、読む人を選ぶと言われると余計に読んでやりたくなる。

でもまだそれだと人生の短い時間を使って読もうとする動機が、個人的には弱い気がする。

「現代の哲学さえ知っていればいい」とか「原子力学の観点から間違っている」とか言われて「読む価値がない」と断定する人もいるが、それは読んでみることや自分で考えることを意味しない。

読んだ果てに、自分自身で断定するためには、読んでみて考えてみるより他に方法はない。しかし、もっと強い動機が欲しい。

青臭いことを承知で言えば、本を読んだら「自分の価値観を変えてくれる書籍かどうか?」という価値があるなら、逆にお金はいくら積んでも構わないだろう。人を変えるということにはそれだけの価値がある。カントの哲学は価値の哲学だと言われているので、もしかしたらこの条件は満たせるかもしれない。

カントさんの哲学を読んで、内容が分かるのには最低10年はかかるという人もいる(研究者は50年もカントの哲学にとりつかれているが、それでも難しいらしいし未だに発見があるそうだ)

だけど、1つ直感的に言えることがようやくわかった。

全体の1%もわかっていないが、その0.XXXX%の理解で言えることは「どうやらカントは正しいらしい」ということだ。ペテン師だと言う人もいるがさておき、このひとはどうやら信用できそうだと思った。もっというと真摯で誠実な人だ。

別に彼の人格とか生き方が素晴らしいという気はない。なぜなら、けっこうそのへんは賛否両論がある。ただ本の内容が自分には適合しているかもしれないというある種の確信が持てたのは嬉しい。

でも、この確信は個人的には結構大事だと思っている。

正しいことを言っている人だという確信が無ければ、難しい本を解読しようと思う気にもなれない。

きみの行為の格律が、きみの意志によって、あたかも普遍的自然法則になるかのように行為せよ。(『人倫の形而上学への基礎づけ』四三)

自分でルールを決めてそれを守ることが道徳的に善い行為だというわけだ。

そのへんの説明は色々あるし、これ自体は万人が納得する内容になっているのか?怪しいところがあるが、少なからず私は自分が決めたルールを守るということもできない大人である。

1.自分でルールを決める

2.それが世間にとって善い行為かどうか検証する

この2つが満たされたものを、掛け値なしの気持ち=目的や手段ではない、で行動することを道徳的に善い行為としよう、という考え方なんだが、これってかなり普遍的ではないですか。

その根拠となるのが定言命法であり、理由なしの「~すべし」で説明される形式で示されているという、説明になっているんだかなっていないんだか今の私には分からないのだが、もうちょっとカントの哲学に付き合ってもいいと思えた。もしこの問いに完全に確信が持てたらいいことがいくつもある。

自分で決めた道徳的な行為に自信を持つことができる。つまり、自分のルールを守るのに他人の意見に左右されなくて済む。ということは、他人の意見に左右されない=悩まなくていい。人生から悩みが消える。とまで言い切れるか分からないが、カント哲学にはそのような人生をプラスの方向へ変容させる効果を期待していい。服用するだけで精神が元気になるのならば、それだけで読む価値がある。

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