プログラミングは手段でも目的でもない!という話

「プログラミングを学ぶことが目的になってはいけない」

「プログラミングで何をやるかが重要」

「プログラミングは目的ではなく手段に過ぎない」

…などと、したり顔で言う人がいます。

――少し前に私もわかったような顔をして、同じようなことを言っていました。

しかし、今思えば恥ずかしいです。

「プログラミングは手段ではなく目的ではないだろうか」とふと思ったからです。

もっと言えば「手段 or 目的」という二項対立で考えることが誤りだと思うのですが。それは長くなるので、またの機会に話したい…少なくとも今の私は「プログラミングが目的になっている」と言ったほうが、私としてはとてもしっくりきます。

プログラミングが手段であるということ

…別に、10年以上の長い期間プログラミングをやってきて、プログラミングが楽しいから、贔屓目(ひいきめ)に言って「プログラミングが目的になった」と言いたいわけじゃないのです。

その辺の私の主張を整理するためにも、手はじめにプログラミングが手段だと言いたげな人の言動とその心理というか前提になっている条件についてまず明らかにしてみましょう。

まず結論から述べますと「プログラミングが目的だと思っている人は産業に毒されている」と私は思います。プログラミングを手段だと言う人の多くは「プログラミングを仕事をするための道具ないしは技術」だと割り切っているということです。

もちろん、この考え方は間違っているわけではありませんが、あくまで労働者としてプログラミングをとらえた、プログラミングの一側面を語っているに過ぎないのではありませんか。

このことには色々な反論がある人がいるでしょうから、もっと深く考察してみましょう。例えば「ゲームをつくりたいから」ゲームをつくる手段として、プログラミングを学ぶと言った場合はどういうことが言えるでしょうか?

プログラミングが目的であるということ

私は10代の頃にゲームを作ろうと思ってプログラミングを学びました。

日本電子専門学校の講師に相談したら「プログラミングは手段である」という話をされて妙に納得した覚えがあります。

またこれとは別に「ゲームを作ることを通してプログラミングを学べます(ですから、仕事にも役立ちます)」と言われました。

これを聞いて「仕事を得るためにプログラミングを学びます」と言えば、親を説得できるだろうと思いました。(親はそんなことはどうでもいい様子でしたが)

でも、なんだか専門学校の講師に言われたフレーズは、心の奥底で違う気がしていました。結局はゲームを作ることを職業に選びませんでした。

(日本電子専門学校にも行きませんでした)

なぜなら、私はゲームを作る手段としてプログラミングを学びたかったのではなく、自由にゲームを作成する目的のためにプログラミングが学びたかったからです。

私は自己表現のためにゲームを手段と化していました。

プログラミングを学習の目的は自分

…考えて見て下さい。

目的と手段なんてもともと綺麗に別れないものです。

分けても分けなくても、あまり結果は変わらない気がします。

たしかに、ビジネスシーンにおいて有限な時間と経費の換算を見間違わぬためにも、作ることが目的になってしまって問題解決としての手段を見失うことは避けなければなりません。でも、プログラミングが手段か目的かなんて、どこまで行っても使っている人の主観なのです。

人はどうして生きるのか?という問いにこたえが無いのと一緒なのです。

技術や科学は便利なもので手段として使われるために発展してきたかもしれませんが、それ以前に世界がある特定の法則にもとづいているという発見だったのではないでしょうか。それをより求めて高めていくことに本来は目的も手段もないのです。

とりわけプログラミングは自分の手となり足となり、思ったとおりに動かす技術です。自分の手足が紛れなく自分のものであるならば、自分の思ったとおりに動くプログラムもやはり自分の一部なのです。

よってプログラミングとは自分を押し広げて強くすることができるものなのです。

プログラミングとは自分の周辺を劇的に変化させる取り組みにほかならないのです。

それを手段だの目的だのと語ることは、せせこましい感じがしないでしょうか。

プログラミングは手段や目的の以前に、自分がよりよく生きるための取り組みなのです。

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