フリーランスのすすめ。フリーランスはなるものではなく、生き方の問題であり自覚の問題である

「ブログのすすめ。」という記事を連載というかつらつらと書いていましたが「フリーランスのすすめ。」という連載をすることにしました。最近は「フリーランスになりたい人」が増えている気がします。色々なプログラミングスクールで生徒さんへお会いして話をしますが、老若男女に関わらず「フリーランスのなり方」に興味を持っている人がいます。

フリーランスはカッコいいのか?

プログラミングスクールや求人の広告が「フリーランスになって自由に稼ぐ方法」なんてことを謳っているからかもしれませんが、フリーランスは自由でカッコいいと感じる人が最近は多いいのだと思われます。私はフリーランスなんて根無し草と一緒じゃないかと前々から思っていましたが、「フリーランスをカッコいいもの」で憧れや目指す対象になっている。

私としては、この現象にとても驚いています。フリーランスを自称している文筆家やジャーナリストが、テレビに出てきてコメントしているのを見て、なんだか「カッコいい!」みたいなイメージがあるのかもしれません。

しかし、バブル崩壊後の平成不況のさなか苦労をしたのは正社員をリストラされた人やIT業界で言えば「フリーランス」の人だったような気がしています。私の先輩に当たる団塊ジュニア世代=就職氷河期世代は就活に苦労したことを言ってくる人が多い気がしますが、私はそれより上の親世代のことのほうが身近に感じるものです。その上の世代のフリーランスは「フリーランスは不安定だから正社員になりたい」と言っている人が実際に多かった。正社員であれば会社が潰れず所属している限り給料が支払われますが、フリーランスは不況になると仕事が減ります。現在は人手不足と金余りの企業が多いためフリーランスの売り手市場が続いているが、この期間が永遠に続くわけではないという自覚をまず持たなければならない。

しかし、今ではリモートワークなどで場所と時間を自分で決めて働ける、これからの理想の仕事をしている人が「フリーランス」と言われている。(正社員でもリモートワーカーはおりますが)時代は変わりましたね。正社員というイメージは一定して「安定感」がありますが、フリーランスのイメージは文字通り「浮薄なもの」だと今も思っています。だから、カッコいいというイメージも時代や景気と共に変わるものなのでしょう。

まあ、正社員で働いて2人くらい子供がおりローンで家を建てるといったような幻想が崩れ去り、今風な言い方をすれば働き方が多様化している現代からすれば、この不可逆な動きのなかで前に進むには「フリーランス」に可能性を感じ得ないと捉えたほうが、世の流れ的には真っ当な心境なのだとは思いますが。

そんなわけで働きやすさの自由度が上がる今日、労働市場の多様化にマッチしたちょうどよい言葉が「フリーランス」だったのだろうと推察しているところです。

私はフリーランスが嫌いである

フリーランスである私が、フリーランスになる方法をこれから書いていきます。別に書いている記事で明らかにしてこうと思いますが、もうお分かりのとおり、フリーランスという言葉がはっきり言って、私はあまり好きではありません。

フリーランスというのは、自由気ままなヤリ使いっていう意味ですが、モンハンをやるにしてもヤリだけは使いません(ていうか、使えません。モンハンできません、すみません)。

フリーランスとは、この世を戦場に例えるならば一種の傭兵みたいなもの。自分のできることを売りにしてお金を得ること。自分のできることは単純な労働力かもしれませんし、精神的なやすらぎを与える才能かもしれませんし、どこかで身につけた特殊な技術力かもしれません。

フリーランスの定義も調べてみると実に曖昧だと思うのですが、上に書いたとおり何らかの方法でお金を得ている人は、フリーランスなんだと私は思っています。

高い技術力や人脈を持っている人がフリーランスで生き残りやすいので、フリーランスはそういう人種だと決めてかかる人もいますが。それはフリーランスの実態を表すにしては意味が少し狭すぎるように思います。この2つまたは1つを有することが、フリーランスになるための必要条件だと思われているものですが、必ずしもこれらを要するものではないでしょう。

フリーランスは自覚の問題である

つまるところ私の観点からずっと言っていますが、フリーランス的な人でもフリーランスだと思っていない人がいたり、フリーランスだと本人は思っていないけど誰がどう見てもフリーランスな人がいます。すなわち、フリーランスというのは一定の職業または職業形態に従事している人のことを指すのではないということです。

結局は「自覚」の問題なんだと思っています。

…というわけで、私は実はあんまり自分が「フリーランス」だと思っておらず、フリーランス的でもない気がしています。「希望のフリーランス論」を唱えたほうがウケいいのはわかりますが、もっと多層的にフリーランスなるものを定義して行ったほうがよいのではないか?

…そんな話をすると、だいたいの人は納得してくれるのです。よくよく考えると「私はフリーランス的なのかもしれない」という自覚をする人もいます。そして、それが本来的な姿だというところに誰しも落ち着くのです。

…で、うまく纏まりませんでしたが、フリーランスの職業感というよりは、自覚論つーのをこれから書いて行こうかと思っています。

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