【戯言】運とは、めぐり合わせのことであって、不足を補えるという意味ではない

徒然草2.0

私は頭が悪いから長年すごい勘違いしていたのですが、運という言葉はだいぶ多義的なものです。

端的に運がいい悪いというのは…宝くじが当たるか当たらないか、みたいな話だと思っていたのですが、ぜんぜん違います。

一般的に運とはそういうものかもしれません。まあ、宝くじは能力や優劣の要素が皆無という意味では、純粋に運で賞金を勝ち取れる可能性があるのですが…。でも、世の中で勝ち取れるものには、宝くじと違って能力や優劣や時世などによっても大きく左右されるわけです。

そういうものも含めた運を「親ガチャ」「時代ガチャ」とか言ったりするわけですけどね。つまり結論から言えば、運と言った場合は「親ガチャ」「遺伝ガチャ」「時代ガチャ」みたいなものも含むということになるということです。

能力や何らかの優劣が均衡する状態において、選ばれることが「運がいい」のであって、そもそも能力や優劣の部分が誰かに選ばれる水準に達していなければ、つまりは箸にも棒にもかからない埒外の状態である。実は学業とか仕事とかは、ある程度は努力でカバーできるので、あまり運の要素がない(努力ができることも生まれた時の才能だという場合は違うかもしれないが…)。他の人生の要素で重要だとみなされる恋愛なんかも、学業や仕事よりは運の要素があるのかもしれない。でも、相手の評価も必要になるので「ワンチャンあるかもね」を作る状況やタイミングも一定の自分の質というものが求められてくるのかもしれない。

もちろん、能力とかが優れていても「不遇」なんて言葉があるように選ばれない人もいるし、逆に能力が劣っていても、なぜかその時に自分を引き上げてくれる人に出会って、その後の人生で業界屈指の突き抜けた存在になる…という人もいるのかもしれない。そういうサクセスストーリーは、私たちの人生の全てにおいて宝くじのような純粋な運なのではないか?と感じさせてくれるところがある。努力ではどうしても変えられない壁を越えて、成功するべくして成功する天に選ばれた才能を持つ人を、天才などと言ったりするわけだ。

という…わけなので奇跡的な運なんてないのだと言うつもりはないのだが、ある特定の物事を成す(成功させる)にあたって、運と能力の部分がどの程度のウェイトで作用するかどうかの、正しい見極めというものはあらゆる分野で求められる的なことを言いたかった。というわけで「運」っていうのは、捉え方によってだいぶ定義の差があるんですよね。

例えば、起業に成功した時に「運が良かったんですよ」と言う起業家がいますが、これはもちろん「宝くじが当たった」という意味ではない。時流に乗れたとか、奇跡的にとある取引先がたくさんの紹介をして取引先をつけてくれて資金繰りがスムースに行ってしまって事業拡大ができてシェアが1番になった。途中から自分の力とは関係ないところで思いがけず上手く行ってしまった出来事を、たんに「運が良かった」と言っているだけ。もちろん、そうなることにはその人の運の強さというものがあって、起業なんかをする時はその起業家が「運を持っている人か?」ということは最重要視されたりするわけですが…この辺の運の定義は人それぞれなので、本質を見失っちゃいけないよな…と最近になって思ったりする。

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