【戯言】西部邁の皇位継承問題についての見解はまっとうなのでは

徒然草2.0
Nijo Castle (二条城, Nijōjō) was built in 1603 as the Kyoto residence of Tokugawa Ieyasu, the first shogun of the Edo Period (1603-1867).The castle consists of two concentric rings (Kuruwa) of fortifications, the Ninomaru Palace, the ruins of the Honmaru Palace, various support buildings and several gardens.

アイキャッチ画像は二条城だから、天皇家あんま関係ないや…まあいいか。

西部邁という人についてはあまり知らないし天皇家についても知らないのですが色々と調べていて、天皇っていうのはレガシーシステムであると位置づければ、なにか門外漢の私にも見えてくるのではないか?と思って時々情報収集をしています。

あと、感性が◯ばさん化しているのか、ワイドショー的な記事が気になります。以前は他人のお家のことは気にならなかったんですが、やっぱり世話焼き◯ばさん化するのでしょうか歳をとると。やだやだ「【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実” (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット) 」これとか…こんだけ世間に叩かれていると、恋人同士としましては世間を裏切ることが愛の証明になる気がしてくるではないでしょうか。恋ってそういうものなのでしょう。外野が叩けば叩くほど2人は燃え上がるとか。知らんけど。というか、これだけ叩かれていると逆に男性を応援したくなっちゃいますね。え?ならない?そうですか…にしても、この小室圭さんて、すごいと思います。こんだけこき下ろされていても、三菱UFJ銀行の社員になるだけでも十分にすごいのに、米国でトップクラスの法律屋になろうとしている。今のところ曲がりなりにもお母さんの教育は成功したんじゃないだろうか?世間の期待を裏切っても、自分の道を信じて進む…計画通り?利害の一致?愛の証明?見栄と野望?いずれにしても自分に酔いしれられる強烈な自我を持った、今どき珍しいナポレオンを彷彿させる王様ではないか…というのは言い過ぎだが、ニューヨークで生活を成立させるためには成功しなければ後がない。こんだけ才能と野望があるのなら、日本で小金持ちになる道はいくつもあるので…それで十分だと思ってしまうのですが、それが小者(私)の発想なのでしょうね…。

少し話が変わりますが、美濃部達吉の天皇機関説や日本共産党が天皇制と呼ぶこともそうですし、三島由紀夫VS東大全共闘を見ていたら東大全共闘からすれば天皇は国家を為すシステムの一部に過ぎないし、三島由紀夫にとっては日本神話の一部である一方、やはりシステム的な論じ得る概念・抽象的ななにかに過ぎないという思想的に冷静な面もあるというか、二重性のあるものだと認めている。…認めているが、神話性の一面に向き合うことを三島は決めた、という話だった。「天皇家はレガシーシステムだ」なんて言ったら時代が違えば刺されるのかもしれません。別にレガシーに古いという意味はあってもネガティブな意味はない。もっともレトロとかビンテージとかイニシエトみたいな、ちょうどいい言葉をつければいいのかもしれない。しかし、制度化されて人がいいように解釈を変えはじめる時点で、退廃はまぬかれないとも思う。それにそうなった時点で神話的な価値がない。言葉遊びになってくる。これは人工的なシステムである民主政というか政治全般にも言えることだし、同様に自然発生的と言っていいのか分からないが天皇というシステムにも言えるし、国家というシステムにも言えることなのではないか。(別に個々のシステムを貶める気はなく、それぞれのシステムが重層的に折り重なってできているものだと確認がしたいだけ)で、結論から言うとこれ↓

皇位継承問題
皇室の皇位継承について、日本国家を統合するための象徴機能は皇室において、つまり「血」統よりも「家」系を重視する方向において、よりよく維持されると思われるということを理由に、「女系」にも「女子」にも皇位継承が可能なように皇室典範第二条の「継承の順位」を変更したほうがよいと述べた[112]。これに対し、一部から「左に回帰した」との反発が起こった。西部は天皇についてたびたび論じている

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E9%82%81

前後の文章は分からないし、この文章をどれだけ私が正しく読めているかもわからないし、これはそもそも愛子内親王を天皇にするという議論が盛んに行われていた時の話だと思うが…これって今見るとすごいまっとうに見えないか。

家が何を意味するのか分からないが、ずっと男系できたものを女系に変えるとか血筋うんぬんの是非よりも家柄の方を重視せよ…ということだと勝手に解釈しました。竹田恒泰はなぜ男系継承でなくてはならないか?について「もはや理由などどうでもよい」と述べているが、どうでもよいと言われると理由ありきで動く者(私)からすると、じゃ女系でもいいのでは、って話になる。家柄ってなんぞ?というと難しいしこれから学習するが、家柄のよくないものを天皇家に近づかせたくないという、熱い思いだけは日本国民に共有されているのではないか。そう考えると、大変これ理に適っていませんか。血はつながっていなくとも、それぞれは別々の人間であって、考え方も違えど人の思いだけが継承するならば…血という物質的なもの以前に時代を越えて引き継いでいって欲しい物があるはず。なんていうふうに。まあ、このへんを突き詰めて多数決とると民主政治的なポピュリズムに陥るので、やはり難しいというか危険(天皇ひいては国家のシステム崩壊につながる危険)なのでしょうけど…とはいえ、個人的には悠仁親王も15歳になられたことだし、何とでもなるのではと勝手に思っています。(この話はこのへんで。

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