【戯言】プログラミングのモダンと孤独

徒然草2.0

コーディングにおける”モダン”とは、いろいろな定義があるが、システムの規模が大きくなった時に、破綻しないコードを書く一連の仕組みのこととして語られることがよくある。というか、ほとんどではないだろうか。特にビジネスシーンおける場合のモダンにはそういう含みがある。

そしてそれは、ひとりよがりではない周囲の人(=チーム)のことを考えることに繋がる。…というところまでは分かるのだが、それによって一介の浪人の能力が妨げられるのならば…あえてそのモダンを避けるのもありかもしれない。なんていう孤独な道が自分には見えている。まだ、歩んでいるつもりはない。一応…。

…とはいえ時間軸をベースにすれば自己もまた他人である。自分が書いたコードは未来、覚えているはずもない。3ヶ月後の自分が書いたコードは他人のコードと変わらない。コードが仕様を訴えるくらいに分かりやすく、どこをどう変えればいいのかわかりやすいことは、言うまでもなく優れたコードと言われる特性の1つだ。

よって浪人プログラマでも他人のためを考えたモダンなエコシステムを取り入れたほうが効率がいいシーンもあるわけで、完全に一人の世界を好き勝手に行けばいいわけでもないんですけどね、なんてことを思ったりします。プログラミングに限らず、なんらかのものを書いている以上は、人は完全に一人孤立しているわけではないのかもしれない。プログラミングで言えば、1人でプログラミングをしているとはいえ、他人の作ったライブラリを上手く活用するシーンなんてごまんとあるわけだし、結局は面と向かって話をしたり、自分で書いたコードを他人に評価してもらうことはなくても、かかずらうことで、他人を意識しないといけないシーンは残る。

なんか話がそれたが、モダン=非孤独化なのだ。人と人の関係性の性質がモダン。別にプログラミングに限らずあらゆる対象のモダンがそういうものだと、たぶん言えるんじゃないかな。。。

などということをふと思った。

徒然草2.0
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