【戯言】スピリチュアル・マネー

徒然草2.0

以前にも書きましたが漫画キングダムを読んでいて書いたこれ「【戯言】キングダムを読んでいる 呂不韋(マネー)VS嬴政(スピリチュアル)の戦いに決着が付いた件 | ごみぶろぐ」なのですが…これって何だか今までの話にあるようでない、すごいシーンだなと最近になって何度も改めて思ったりします。いや、マネーにまつわる話とかには、マネーを超える何かが当然あるわけですが…それを分かりやすく書いたなあ…という。語彙がなくて上手く言い表せない(汗)ちょっと話が変わると…この呂不韋の常に自信に満ちたオーラとそれとは別の嬴政のカリスマ性って言うのが見える気がするのがすごい。これを見ているのは自分なわけですが、それを読者の間で共有できるっていうのがすごい、つーか。不思議だな、とすら思います。突き詰めれば、人間っていうのはこの2つでできているのかもしれない。スピリチュアルだけだとバランスが悪い…。結局は生きていく上でマネーという媒介物が無いと人間の営みは成立いたしませんし、スピリチュアルという思想というかスピリット(魂)そのものも人間の肉体を媒介したエネルギーであって、肉体に難があればスピリチュアルなるものも活きてきませんし。だからと言ってマネーがすべてというのもまた違います。マネーはどこまで行っても媒介するものに過ぎないわけです。

ああ、人間というのは複雑怪奇である。

で、1つ言えることは「人生は不可解なり」です。これは、若くして亡くなった藤村操という人の言葉なのですが。参考:「藤村操 – Wikipedia」これにはオトナとしてなんか言ってやりたくなる衝動に私も駆られますしが、それをやったらクォーラでいいねを貰えるような体の良い修辞になるので、その手の言葉を述べるつもりはあまりありません。何だかその時点で自分の言葉ではなくなってしまう気がする。藤村操の言葉は、そういう意味で真理に到達しようとしたものの純粋な疑問なのだと思います。彼の自殺は肯定されるべきものではありませんが、生きている万人にとって認めざるを得ないというか課題そのものだからこそ、有名な言葉であり続けるのでしょう。

ただ、世の中というか人生は強いて言えばこのスピリチュアルとマネーのバランスによって成立するのであって、私自身がスピリチュアル的なものを扱いつつも、それに加えてマネーとかに関して書くのはこの2つの両立を目指すいわば折衷案を模索している過程なわけであり、今後もその路線でブログを書くことは意義があるのだなあ…と改めて再確認しました。雑記ブログとは、私なりの言葉で言えば。スピリチュアルとマネーについて忌憚なく思っていることを吐露することなんだろうと思います。

…そんな結論に至りました。

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