【戯言】のたれしぬの精神

徒然草2.0

野垂れ死ぬの対義語は大往生でしょうか?人の死にあれこれ理由をつけて、極めてバカバカしいと思いますが。道すがら、ある日思いがけずに、野垂れ死ぬ。死ぬときぐらいほっといて。なんとやら、あれやこれやと理由をつけないで。くだらないじゃないですか。みんな分かっているでしょう。大往生流なんて拳法があったら笑うでしょう。しかし、死ぬのは平等で孤独な行いなのに、人は何か意味を設けたいらしい。一体何ででしょうか。そういえば現代の日本の路上には死人がおりません。綺麗すぎて死が見えません。覆い隠されています。いつか自分もああなるんだという目標になるものすらイメージができません。死体が転がっていれば少しは考えるのに。ディズニーランドのカリブ海族というアトラクションに行くと思い出します。入り口で海賊の亡霊が私達を迎えてくれる。ホーンテッドマンションもいいですね。死人が私達を迎えてくれて、家までお供してくれると言うじゃないですか。夢の国ディズニーランドは死人の国でもあるんですね。ああして野たれ死ぬのも悪くないなと思わせてくれる。

徒然草2.0
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