ネタバレあり。「耳すまのアイキャッチ」はなんとなくのイメージです。
生きているのが辛い16歳の女の子に読んで欲しい…的な作品かなと思う…だいたい先の話は途中から読めてきたが。。。
それでも、大変面白いので勢いで3連休の間に読んでしまった。
もちろん(?)大人もとても考えさせられる作品であった。
自分の不幸を引き受けて強く生きていくこと。
他人の気持ちを理解することとはなにか?と、我が身を振り返って「腐ってないか?」と今一度とても考えさせられた。
そのあたりの描き方はすごい上手い。ストーリー全体そして最後までが、きちんと纏まっていた。
日本から異世界転生して慶国の王になった陽子、同じく日本から流れ着いた鈴、芳国を追放された祥瓊。16歳の女の子3人が成長していく話ではあるが、上巻のはじめはちょっと退屈だったが…じゃあ、後半の戦闘シーンが特別楽しいかっていうと、別にそうでもないかな。やはり3人娘の成長ストーリーと見るべきだと思う。
鈴と祥瓊(しょうけい)が、自分の境遇の不幸さ、それゆえに、その怒りを会ったこともない慶国王の陽子へ向ける浅はかさに、はたと気がつくシーン。うまく説明ができないのだが目頭が熱くなる。不幸に浸る自分に気がついて”吹っ切れる”ことの大切さを、読者である私達にも疑似体験させてくれる。
個人的に気になった台詞↓
「同じ言葉を喋っていても、言葉が通じるとは限らない」梨耀(りよう)
「いきなり見ず知らずの異国に投げ込まれれば辛いでしょう。言葉が通じなければ、なおさらですね。ーーけれども、鈴、言葉が通じるからといって、お互いの考えていることが分かるというものでもないのです」采王黄姑
「なまじ言葉が通じれば、分かり会えないとき、いっそう虚しい。必要なのは相手の意を汲む努力をすること、こうだと決めてかからずに、相手を受け入れてあげることなのです」采王黄姑
…そうなんだよねー。私も言いたいことが通じないの。通じるという幻想を捨てなきゃいけない。
鈴をいじめる梨耀(りよう)、あとついでに言えば、祥瓊をいじめる沍姆(ごぼ)も性格が最悪なんだけど、そのように醜悪になったのもそれだけ辛いことがあったからというのが透けて見えてくる。
生きるということは嬉しいこと半分、辛いこと半分なのですよ。人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人が幸せであろうとしたからなのです。苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが人を真に幸せにするのですよ
…なんだそうです。
ただ、鈴と祥瓊も苦境から逃げ出すことで人生が好転したわけで人として成長したわけなので「環境が悪いのは自分のせい」っていうのは、うなづけないところもある。違うと思ったら環境を変えてみることも大切。鈴は清秀の死をきっかけに、祥瓊は楽俊との対話のなかで、自分を回復していったようだが、そのような人に会うことも大切ってことなのかもしれない。(ただ、まあ他者をあまり重要視しすぎないほうがいい…というのが私の個人的な考えですが)
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