※この記事は執筆中です。作家の百田尚樹が『日本国紀』という日本史を書いた件について「作家たるものいつかは自分の日本史を書きたくなるものだ」という話をしているのを目にした。歴史というもののは国民に1つしかないと思っていたが、もしかしたら全国民の頭の中にひとつずつあるのかもしれない。…それはいささか風呂敷を広げすぎかもしれないが、いい意味で自分勝手に日本史を編集したら独自の物ができだろうし、自分にしか役立たないが多少は勉強になるだろうし自分にとって「おもしろいものになる」かもしれないと思い書いてみることにした。
日本史
旧石器時代
20万年前にアフリカで人類が誕生。3、4万年前に日本列島が人類がやってきた。1万数千年前から縄文時代が始まった。
縄文時代
縄文時代は今から1万数千年前から1万年続いた時代。
人々は、縄目模様の縄文土器を使用。竪穴式住居に住んでいた。動物や魚や貝を食べて暮らしていた。狩猟採集生活から定住生活に変わっていった。縄文時代の前は打製石器が使われていたが、磨製石器が使われるようになった(どちらも石ころだが、打製石器は石を石で割って刃をつけ、磨製石器は石を磨いたもの)弓矢なども使われるようになった。貝塚を調べることで、何を食べていたか分かるそうだ。
E・D・モースは大森貝塚から食人(カニバリズム)の証拠を見つけたらしいが、日本人はあまりその話をしたがらないだろう。
人々は屈葬されていた(屈葬とは、体を折り曲げて埋めること。赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいる格好だという説もある。遺体を焼かず土葬する)また、遺体に赤い鉱物の粉がかけられていることがあった(生き返る呪いと言われている)。石を抱えて埋められることもあった(抱石葬)。
竪穴式住居にも種類があり、大型竪穴式住居、大型掘立柱建物、掘立柱建物などがある。青森県の三内丸山遺跡にあるものが有名。
黒曜石は武器を作ることに使われた。翡翠(ひすい)は勾玉などの装飾品を作成するのに使われた。黒曜石や翡翠は産地が決まっていて、一部の地域から数100Kmも運ばれたことが分かっている。
人間が犬を飼い始めたのは1万年前から3万年前。犬の土偶や埋葬された犬が見つかったことから人に大切にされていた。
珍しい土偶は国宝土偶と呼ばれているらしい。遮光器土偶、中空土偶など女性に見立てたものが多い。
3000年前のエジプト文明にファラオ王がいた時期に日本は縄文時代だった。ピラミッドの建設、ストーンヘンジなどが造られた。中国では漢字の元になった甲骨文字が生まれていた。
阿智県豊橋市牛川町で見つかった人骨は3万年前のもので牛川人(うしかわじん)と名付けられたが日本人と異なった特徴を持つ。静岡県三ヶ日町で見つかった人骨は三ヶ日人(みっかびじん)と名付けられたが牛川人よりも新しく1万年前のものだ。兵庫県明石市の海岸で見つかった人骨は明石原人(あかしげんじん)というが50万年ころのものである。
弥生時代
邪馬台国に卑弥呼が現れた。邪馬台国は狗奴国と争いをしていたが中国大陸の魏に使いを送り後ろ盾になってもらった。卑弥呼が亡くなった後に争いが耐えなかったが、十三歳の伊予という少女が女王になって国は治まったという。「魏志」倭人伝に卑弥呼のことが書かれている。卑弥呼がいた邪馬台国は奈良県の畿内大和説や福岡県の北九州説など諸説ある。
魏から金印をもらった。筑前国(福岡県)の田んぼから見つかった。漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)という5文字が書かれていた。大阪府和泉市の黄金塚古墳から出土した銅鏡は中国から卑弥呼へ伝わったものだ。
邪馬台国は連合政権で様々な豪族が集まって国としてまとまっており、その中心になった豪族が皇室の祖先と言われている。4世紀ごろになると奈良盆地に大和朝廷という天皇中心の国が作られた。
古墳は豪族の墓であり、棺の他に鏡や剣や玉、鉄製の農具や工具などが納められていた。
弥生人は「こしき」と呼ばれるせいろで米を蒸して食べていた。もみを落とした玄米は蒸すのに適していた。蒸した米を「飯(いい)」という。今のごはんは「粥(かゆ)」といった。
山口県の土井ヶ浜遺跡から体に矢じりが残された男の人骨が発掘された。武器として弓矢が利用されていた。
稲を刈るのに石包丁が使われていた。石包丁にはいくつか穴が空いている。紐を通して手に結びつけるように使用されていたと考えられている。
銅鐸が造られた。農耕の様子が側面に描かれていることから祭事に使用された。
紀元前100年ごろには鉄器や青銅器が伝わった。
奈良時代
※奈良時代についての記述はまだありません。
平安時代
※平安時代についての記述はまだありません。
鎌倉時代
※鎌倉時代についての記述はまだありません。
室町時代
※室町時代についての記述はまだありません。
戦国時代
※戦国時代についての記述はまだありません。
安土桃山時代
※安土桃山時代についての記述はまだありません。
江戸時代
※江戸時代についての記述はまだありません。
明治時代
※明治時代についての記述はまだありません。
大正時代
※大正時代についての記述はまだありません。
昭和時代
※昭和時代についての記述はまだありません。
平成時代
※平成時代についての記述はまだありません。
令和時代
※令和時代についての記述はまだありません。
日本のすごい人一覧
ひみこ(卑弥呼)
・邪馬台国の女王。魏の皇帝から「親魏倭王」の号を与えられた。魏には奴隷や布を貢物として送った。邪馬台国と狗奴国(くなこく)が争った際は魏から使者を狗奴国に送った。卑弥呼の死後は13歳の伊予(いよ)を女王にした。邪馬台国があったのは北九州や奈良にあったと言われているが正確な位置は今もなお不明。
継体天皇(けいたいてんのう)
九州の豪族磐井を倒して大和政権の国内統一の基礎を築いた。大伴金村(おおとものかなむら)や物部麁鹿火(もののべのあらかひ)の支持で507年に天皇に即位。
磐井(いわい)
筑紫国(つくしのくに)の豪族。朝鮮飯能の新羅に敗れた任那(みまな・にんな)を助けるため、継体天皇が出兵を命じたが逆に新羅と手を組み九州の火国(ひのくに)・豊国(とよくに)とともに近江毛野軍を迎え撃つも1年半続いた戦いに敗れた。
蘇我馬子(そがのうまこ)
敏達天皇(びだつてんのう)が即位した時に大臣(おおおみ)に任命。日本の神を信仰する物部氏に対して仏教を広めた。物部守屋(もののべもりや)を滅ぼした。法興寺(飛鳥寺)を完成させ仏像を安置した。石舞台古墳は蘇我馬子の墓と言われている。