2025年8月15日。太平洋戦争の終戦から、今年でちょうど80年になる。石破総理が戦没者追悼式で、安倍晋三が消した「反省」という言葉を復活させたことが話題になっている。
ただ、そもそも太平洋戦争には前段があった。日本はすでに日中戦争を戦っていた。
その背景をたどると、20世紀初頭の義和団事件に行き着く。1900年、中国で清朝末期に反外国・反キリスト教の武装蜂起(義和団事件)が発生し、これを鎮圧するため日本を含む列強8か国が出兵した。翌1901年、北京議定書が結ばれ、列強は北京や天津、さらに両都市を結ぶ鉄道沿線に軍隊を駐屯させる権利を得た。当初は各国とも駐屯したものの、欧米列強の多くはやがて規模を縮小し、中国大陸への関心を弱めていく。一方で日本は華北や満州における駐屯と影響力を強め続け、その延長に1931年の満州事変と満州国建国、1937年の盧溝橋事件による全面的な日中戦争があった。
この長期にわたる中国大陸での軍事行動と資源確保の試みが、やがてアメリカ・イギリスとの対立を決定的にし、1941年の太平洋戦争勃発へとつながっていった。結果、日本は「侵略した国」とされ、現在に至る。別にその侵略の意図を薄めようとは思わない。だが、中国大陸の当時の状況を見ると、実に混沌としていたことは確かだ。
匪賊や軍閥が割拠し、統一国家としての中国は存在していなかった。当時を知る人の中には「統一された中国というものはなかった」(だから「支那」と表現する)という言い方をする人もいる。こうした混沌は、まるでポストアポカリプスRPGの「Fallout」を思わせる。つまり、いろんな勢力や民族や利害関係が入り乱れる舞台としては、実は中国大陸ほど「Fallout的なシナリオ」を描きやすい場所はないのではないかと思えてしまう。
「中国版Fallout」があればいいのに、とすら思う。Fallout 3やFallout 4の世界観は、おそらく「中国から米国に核ミサイルが撃ち込まれた後」の世界だとされている。しかし当然、米国も中国に核を撃ち込んでいるはずだ。ならば「中央政府が崩壊した中国」という舞台設定で、地下シェルターからサバイバーが出発する物語――そんな「Fallout: New 北京(Beijing)」があってもいいのではないか。混沌とした無法地帯の中国大陸を舞台にすれば、かなりパンチの効いた作品になるだろう。
もっとも、政治的に難しいのかもしれない。反ナチスを描いた作品はいくらでもあるのに、なぜか「反省は枢軸国だけがすれば済む話」になっているのが現状だ。
Falloutシリーズのブラックジョークは、被爆国である私からすると正直「深刻すぎて笑えない」。それでも、私たちは生きている限り、薄ら笑いを浮かべながら歴史を続けていかなければならないのだろう。
終戦から80年。「Fallout的視点」で歴史を見直すと、あの時代の混沌もまた少し違って見えてくるのかもしれない。
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