本のタイトルからして惹かれるが『人生はゲームなのだろうか?』(平尾昌宏)は、人生のあれこれを「ゲーム」という切り口から考える一冊になっている。実際に子どもたちにこの難題を考えさせている場面が浮かんでくる。そういえば、自分はデスゲームものが好きで読んできたが、著者が挙げていた『王様ゲーム』や『今際の国のアリス』は名前すら聞いたことがなかった。今度読んでみようと思う。
「人生はゲームか?」という問いかけ自体、なかなか良くできている。特にコンピュータゲーム好きなら飛びつきたくなるお題ではないだろうか。自分自身も「人生はゲームのようなものだ」と思っている。しかし同時に、ゲームと人生は異なる点もある。たとえば「人生はリセットできないが、ゲームはリセットできる」とよく言われるが、これは前提が隠れていて誤っている。なぜなら、プロ野球の試合のようなリアルゲームはリセットできないからだ。つまり、「ゲームはリセットできる」と言うときの“ゲーム”は、なぜかコンピュータゲームに限定されてしまっている。
本書は、そうした発想の誤りにも目を向け、根本的に考え直す方法を学べる仕掛けになっている。ゲームの条件や目的をもとに、戦争・恋愛・宗教・科学といった事柄を「ゲームと言えるか?」と問う。実際に自分で考えてみると面白い。「教育はゲームか?」「マネーゲームはゲームか?」などを検討すれば、人生をゲームにたとえる際の必要条件・十分条件、そして差分が見えてくるのではないか。
ただ、個人的に引っかかったのは「ゲームには条件や目的が曖昧なものもある」という点だ。たとえば『マインクラフト』や『どうぶつの森』には制約条件はあるが、はっきりした目的はない。著者はあえて本文にそのことを書き、自然に答えが出てくると考えて省略したそうだが……自分には「なぜ?」という疑問しか残らなかった。哲学の限界にはあえて触れなかった、ということなのだろうか。夏目漱石先生の教え子・藤村操にかけてやる言葉もないのか。
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