ネタバレあり。
ストーリーは、“私”が学校の隅の鶏小屋で“君”との関係を深めていく──そんな話なのだが。40を過ぎた“私”が、初恋というか、一方的な恋の記憶を語る作品だと思った。ただ、正直なところ、どう解釈していいのかよく分からなかった。
登場人物の名前が B とか Z とかで、性別やイメージは読者に委ねられているらしい。だからこそ、何を感じていいのか掴めず、とりあえず仮に “私=女で姉がいる”、 “君=男で兄がいる” という設定で読んでみた。たぶん、そのあたりは読者が自由に決めてもいいということなのだろう。
もちろん、性別に縛られる必要はないのかもしれない。「本なんて読者が好きに読めばいい」と言ってしまえばそれまでだが、どこか突き放されたような印象も受けた。個人的には、もう少し定義づけをはっきりしてほしかった。ただ、それは自分が小説を読み慣れていないせいかもしれない。一方で、作者があれこれ説明しすぎるのも煩わしく感じる性格なので、結局は“ちょうどいい感じ”にして欲しいが。とはいえ、現代でこういう作品が評価されるのはなぜなのか──その「評価されるポイント」や「小説の目的」みたいなものが、自分にはまだよく分かっていない気がする。
作中では、“私”に気立てのいい姉がいて、“君”には頼りになる兄がいる。
そこがこの話の肝なのではないかと、勝手に思っている。
もし、“君”に兄がいなかったら。
もし、“私”に姉がいなかったら。
“私”と“君”の関係は、今とはまったく違う形になっていたのかもしれない。
いや、逆に何も変わらなかったような気もする。
“感情労働”というほど大げさではないけれど、年上の兄弟姉妹の存在がどこか「邪魔くさい」と感じることがある。それが、妙に心に引っかかった。もしかすると、これは“年上のきょうだいを持つ人”の共通感覚なのかもしれない。
…兄弟がいて役に立っていることもあるのだが、役に立っていないことのほうを人は感じがちなのかな?
最後に、どうしても納得がいかなかったのが、相手の兄(Z)と私の姉(B)が駆け落ちする展開だ。
あれは、作者の実体験なのだろうか。まあ、ゆうて年下のほうが結果的にうまくやる(?)というのも、あるあるだ。
“私”と“君”の関係がそうであったように、ZとBの組み合わせもどこか不釣り合いで、うまくいくはずもない気がした。作者が特に暗い感情を狙っているわけではないのだろうが、読後にはなぜか、じっとりとした暗い気持ちが残った。
──そんな不思議な作品だった。
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