結論から言うと…個人資産というものは、個人的には幻想だと思っています。個人が所有する資産ってなんでしょう?
個人が所有する資産ってなんでしょう?
何も持たずに産まれて何も持たずに死ぬ人間である私達には、なぜか所有する権利を付与されている
たぶん、国がかってつくった…自分の命というものは自然権と言って国の法律で定められた権利ではないところで付与されるという思想が合った気がするけど、個人の資産というのはまたそれとは別で自然に任せていると強者のもとに集まり続けるのでコントロールされると思う(例:相続税)そうなると個人資産というのは、どうやら国に勝手に付与されているもの(少なくとも、コントロールされているもの)だということがわかる。
…私達は人のものをとってはいけないし、人にものをあげるにしたって色々と気をつけないといけない。人にもらったら感謝の言葉を述べて、一部を返報する。けしてさらに欲しがってはいけない。謙虚に、謙虚に…みたいな。言うだけ言ってみればいい「欲しい」と…これもまた、1つの方針。
…そうして何らかのモラールというかルールがあると教わる(言葉で教えられなくても、取引のルールを間違えると大変な目に遭うこともあるかもしれない)。
いっそのこと、お金が無ければよかったのだ…と思うことも有る人がいるかもしれないが、お金がない人にとっては「もしあの時にお金があれば結果は変わったのに」と思うことも有る人もいるかもしれない。
基本的にお金は価値交換エネルギーであって「ありすぎて困るものではない」はずだが、自分にとって不相応のお金を持っても無くなると言われている「宝くじが当たったら不幸が始まる」ようだ。
…そして、話を投資に戻すと、、個人は個人の資産を増大させることを考える。誰しも自分の財布の中身がスカスカになることを望んで投資する人はいない。そういう人に合ったことがない。私に近い考えで市場にお金を投資する思想をフラットにそして柔軟にするお金の教育やら哲学を語る人はいるが「個人資産の幻想性」を語る人は…たぶん受けが悪いのもあってか、まず語られない。
「お金を捨てよ!市場に投擲せよ!」こんな言葉は乱暴だ◯◯◯イだ!独りでやれ!てか俺に金をくれ!と言われるのがオチだ…がそんなつっこみをされる時点で自分は「この人はお金の所有の幻想性について語るなんて土台無理な話なのだ」と思って口をつむぐことになる。
まあしかし、国が勝手に個人に条件づけした資産を切り売りしながら生きていくわけですが、これが本来は自分の生と死とはあまり関係ないところで動いている仮想エネルギーという一面は誰も否定できないと思う…なぜ仮想エネルギーによって一喜一憂しないといけないのだろう?ふと立ち止まって幾度となく考えてしまう。
※そんな風なことを考えることに時間の無駄以外の利点があるとすれば…ちょっと冷静にお金のことを考えるマネーリテラシーを高めることになるのでは?ってことが上げられるかも。
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