日記|ラ・ボエーム

徒然草2.0

・「RENT」…ってミュージカルについて、このまえ日記でふれたが、RENTの脚本家のジョナサン・ラーソンはRENTの公開初日にすぐ大動脈解離で急死。享年35歳。その生涯を映画にした「tick,tick,BOOM」(2021年)が面白いらしい。いつか見よう。RENTはラ・ボエームというオペラをベースにしているらしい。オペラって難しいと思っていたけど、見たら結構おもしろいかも。

・Levenってアプリが気になった…ドーパミン・マネジメントをして、行動療法で改善して生き甲斐を見つけよう的なやつだ。SNS依存や動画依存やゲーム依存やポルノ依存を改善する的なやつ。最後に月4000円くらい金払えと言われて、さくっと消した。別にインターネットのあらゆるコンテンツを断てないから、自分は幸福を感じていないというわけではないと思うんですよね。確かにインターネットのコンテンツから離れて、軽い運動して睡眠時間を多めに取ったほうが、生活の質は高まるのは分かるけれど、それで何か劇的に改善されるわけでもないので…そうしていないわけで、これで何か変われると信じるほうが、ちょっと無理がある。しかも具体的に何をしてくれるアプリなのか、不明。「radditの投稿を見る限りは詐欺だと言われるくらい評判が悪い(苦笑)」自分の生活改善とかをAIがしてくれるらしい。これだったらChat-GPTを使った行動療法プロンプトみたいなの打ち込んで自分で自己改善に結びつけるみたいなことやれるプログラムで十分な気がする。自分でそういうの作ればいいのかな?

・私は「個人」という概念は虚構だと考えている。虚構である以上、それを信じられないのは当然…同語反復になるのでここらへんにしておきますが。では、一体その代わりに何を信じるのか?「自分」というものがあるとしたら、それは必ず「自分ではないもの」との対立の中で成り立つだけだ。自分と同じ他者もいれば、それを超越する他者もいる。自分に卑しさがあれば、それとは対照的な「高貴さ」を持つ存在がある。その高貴さこそ、神秘であり、畏怖の対象であり、尊重されるべきものになる。しかし、同時にそれは現代で見当たらない。(現代は、すべての人間は「個人」であり、それらを1つ1つ「尊重」して「差別」を無くすフィクションを認めないといけないから)結果的に現代人は迷走する。とりあえずお金を得てFIREして自分のほんとうの好きなことしよう、みたいなことを考えてみたりしがちになる。…これは理屈で説明するより、直感的に理解できる感覚ではないか。自分がいるところが内ならば外ということになる。そう考えると、私はどこか原始的で、階級社会的で、信仰深く、保守的な人間なのかもしれない。自分はアナキストだと思っていたが、実はそれはあくまで既存概念への対立としてそう思っただけで、突き詰めると革命思想の対立としてアナキズムがあっただけに過ぎない。例えば、貴族階級を打倒したフランス革命を「下品だ」と感じている。現代人の「私たちは個人であり、みな等しく人権を持つのだから平等でなければならない」という思想は、日本人には歴史的に根付いていない(気がする)。制度(と言うか憲法)として取り入れていても、実感としては「平等」というものを持ち合わせていない。国民は日本国憲法を認めておらず、政治家の世襲を容認する。この状態を許しているのは他ならぬ国民や官僚であり、結局、いまの日本は「形だけの民主主義」と言える。しかし、それは支配階級が意図的に作り出した構造なのではないかとすら思えてくる。建前として、平等と民主主義を掲げ、国民に権利を与えるように見せかけつつ、実際には革命が起こりにくいバランスをとっている。国民が選んだ政治家が法律を作る以上、アウトサイダーが政権をとるには同じ制度を通るしかないが、かつてなら天皇を担ぎ出せば革命の正当性を得られたが、いまや天皇は「象徴」とされ決定権を持たない。岩屋に隠れたようなもの。その結果、日本の階級制は固定化され、国民の意識にまで深く染み込んでいる。日本の権力構造は非常に盤石な「二重構造」になっており、是か非か別にしてGHQの統治を利用して今の状態になった。

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