スマホにChatGPT、Gemini、Grokを入れて使っています。
正直、ひとつ生成AIのアプリがあればだいたい事は足りるのですが、それぞれに個性があって、なんとなく気分で使い分けています。
ChatGPTは全体的にバランスが良く、フレンドリーかつ柔軟で使いやすい印象です。Grokは多少雑なところもありますが、そのぶん気軽に話せる空気感があり、雑談や軽めの思考整理にはちょうどいいです。一方でGeminiは、どこか紳士的というか、几帳面で硬派な印象です。仕事は早いけれど、遊びのない感じが少しだけ物足りないときもあります。
AIを使い分けながら、疑問に思ったことに対して自分なりに仮説を立て、それを彼らに投げかけて壁打ち(デバッグ)するだけで、英語、IT用語、プログラミングなどの理解がずいぶん深まります。
たとえAIが扱わないようなトピックでも、Webや書籍など他の情報源で補えば問題ありません。彼らにはなくて人間の教師にあるものは何でしょうか。1つは感情かもしれません。
リアルな先生にしかできないこととしてよく挙げられるのが「パッション(情熱)」ですが、それが学習モチベーションの維持にどれほど寄与するかは人によって違いますし、数値化が難しい部分でもあります。たとえば、ある先生が好きで信頼できるからこそ成績が伸びる、といったケースもあるでしょう。しかし、そうした情緒的な要素に依存しなくても、教育の根幹――知識の伝達や理解の促進――は、すでに生成AIでかなりの部分が担えるようになっています。これは、教育が生成AIによって真っ先に代替されていく領域であることのひとつの証拠ではないでしょうか。
もちろん、学習において情熱がまったく不要というわけではありません。ただ、学習が高度になるほど重要なのは、知識を筋道立てて説明し、論理的に理解させる力です。その点では、情熱もまた説得力や信頼構築に不可欠な要素であり、ロジカルな能力の一部とすら言えるかもしれません。
結局のところ、感情を受け取るのは人間側の主観に依存しますが、そこに感情を感じ取らせるかどうかはAIの振る舞いに大きく左右されます。最近のChatGPTのように、あえて人格や感情表現を含んだ応答設計を行うことで、より“共感できるAI”が実現されつつあります。
教育分野へのAI導入に関して言えば、たとえば幼稚園の先生のように情緒的なつながりやケアが強く求められる職種は、すぐにAIで代替されることは難しいかもしれません。しかし、中学や高校の教師のように、知識の伝達が中心となる場面では、AIによる代替も現実的になってきています。
大学教育については、教授の持つ専門性や権威といった「存在感」そのものに価値があるケースもあるため、完全に置き換えるのは難しいでしょう。とはいえ、そうした“名物教授”のような個性を必要としない場面では、AIによる教育でも十分対応できるはずです。
いずれにせよ、今は独学が格段にしやすくなりました。生成AIをうまく活用することで、学ぶことそのものがずっと手軽で、深く、柔軟になっていくのでしょう。
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