日記。無人島に持っていくならゲイ小説かレズ小説か。

徒然草2.0

くだらない思考実験です。回答したい方は直感で回答してください。

無人島に持っていくなら「ゲイ小説」ですか「レズ小説」ですか?

ちなみにあなたの性別は?も気になる所ですね。そもそもゲイ小説とレズ小説の定義ってなに?と聞き返されそうですが。小谷野敦が非オーソドックスな性愛者にケチをつけているという話を読んでふと思っただけなのですが、とりあえず小谷野敦の読者層って、私が想像するよりも「歪んでんだな」ってことをこのアマチュア文筆家さんのテキストを読んで理解した。「ポストモダン嫌い」の本を読んで、学者でもこんな雑でいいんだ!じゃあ俺ももっと雑に行こう!と開き直れた。開き直った理由を他人のせいにするっていうのはダサいきはしますが。それはさておき思考実験について。

男性にとってゲイは脅威になりうるがレズは無視できる…というのは、ゲイそのものの性愛を気持ち悪いと私は別に思ってはいないが、好きでもない男性に好意を持たれることは好きでもない女性に好意をもたれるよりも困るのではないか。という個別具体的な理由(というか経験的な理由)から、ゲイからは基本的に遠ざかったほうが無難であると考える。ただ古代ギリシャでは美少年が愛でられていて、そこで生まれた言葉がプラトニック・ラブ(体を伴わない純粋愛)なわけだ。堀江貴文氏は同性愛の先駆者としてもてはやされている感がある。男女雇用機会均等が制定されて、女性が働いて対等な社会的な地位を得るのが当たり前な時代になってくると、恋愛観も当然変わってくるのかもしれない。生殖にこだわらないなら、男女の差は限りなくないのかもしれない。他者とはただの肉体で、性器の形状がちょっと違うだけと言えば、そんな気はしてこないでもない。

そもそも論で言えば、レズ小説ってそんなものあるの?代表的な百合作品って何?ベルサイユのばら?でもオスカルは男として生きているからユリじゃないよね。というわけで思い浮かばない。女体という意味では、ビニ本とそう変わらないものとして男性目線で読むことができるかもしれない。くらいのメリットしかない。ゲイ小説はイフの物語として自分の視点で解釈できるが、おそらくレズ小説を主観で見るのは結構無理があるのではないかと個人的に思える。ほんとうにそうなのかレズ小説を読んでみないと分からないのかもしれない。

というわけでメリットとデメリットを鑑みると内から見るゲイ小説と外から見るレズ小説となるが、より精神活動としてどちらか高尚なものかと言うとやはり内からい出る情念にフォーカスするべきなんじゃないかな?と思うので、ゲイ小説を無人島のお供にしたい。

徒然草2.0
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