戯言|飼いならされる。

徒然草2.0

飼いならされる

⋯言い換えれば「人の意のままに動く存在になる」「犬のようになる」「奴隷にされる」「懐柔させられる」こと。

受動的にとらえれば「現状に甘える」「ぬるま湯につかる」「家畜の安寧を享受する」「丸め込まれる」こと。

(Weblio類語辞典)

飼いならすという言葉は、自分が飼いならす側つまり能動的に使う分には都合がいい。その人にとって都合がいいだけだが、それは本当だろうか。自分の役に立つと同時に、飼いならされたそいつにとっても「それでいい」と大抵の人は思い込んでいる。だから、都合がいい。私からすると、おめでたい感じがする。そうして飼いならしている自分自身が、どこか別の場所で「誰かに飼いならされるのが道理」と思っているので、罪悪感がない。果たして罪悪感が無くなるプロセスがこの人の生涯であったのか、それともそんなプロセスすらなかったのか、どっちでもいいことだが疑いたくなることがある。彼らには悪意がなく疑問に想わないらしい。私達は国家に社会に会社に家庭に無自覚に飼いならされていて、それで自分がしているのは誰かのためだとか利口だとか思いこんでいることもある。(男は女に飼いならされるものなのか?と疑問に思う人は『終の住処』という芥川賞作品を読んでほしい)そのことにひどく驚いたことがあるが、でも彼らはそれが人の世だとわきまえていて、考えてみれば「人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかり。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」(『草枕』夏目漱石)なわけだから、別にその人達にとってではなく、私を含む人にとって仕方がなく逃れられない普遍的な事実でもある。

ところが、そうすべきしかないことを、私達はまるで自分で選んだかのように錯覚してしまうのはなぜなのだろう。

尻尾の振り方がうまくなったり、たいして嬉しくないことを喜んでみたりする。実は演技ですよ、てへぺろみたいなことを言えば、なにか許されると思っているらしい。でも、ゴマすり、ぶりっこは第三者から見ると微妙である。忖度なんて言葉が流行ったりもしたけど、すべては飼いならすか飼いならされているかの違いでしかない。

お前は一体どういうつもりで進撃の巨人を読んでいるんだ?(何に驚いているんだ?)驚いてみたところで奴隷状態なのに。

徒然草2.0
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