先日のこと。踏切を渡っていると警報音が鳴り始め、慌てて私と子どもは渡り終えた。すると後ろから自転車に乗った中年の女性が渡ってきた。
私たちの脇をすり抜けるだろうと思っていたが、道の中央より少し右にいたが左にふらついた。自転車の通り道がさまたげられて、女性は急ブレーキをかけ、「はーっ!」と大きく息を吐き、驚きと少しの怒りを帯びた目でこちらを見た。驚き8割り怒り2割かな。割合の問題じゃなくて驚き10割が怒り10割に変わった感じかな。人の心の中がどうなっているのかわからないのでなんとも言えないが。
まあ“結論”から言えば、子どもが道の中央で少しふらついたのが原因ではある。だが私としては「え?そんなに悪いことをした?」という気分で、とっさに「すみません」と言った。女性は何も言わず、後ろを振り返りながら去っていった。
女性が驚いていたのは確かだが、怒っていたかどうかは分からない。「どきなさいよ!」とでも言われた方がすっきりしたのだが。結局、親として子どもをふらつかせ、自転車の進路を妨げたのだから、私たちが悪いことになるのだろうか。
女性の気持ちを想像すると、電動自転車は加速のタイミングが難しいのかもしれない。踏切を抜けた直後、加速しようとした矢先に子どもの動きでブレーキをかける羽目になったのだろう。面白い状況ではなかったはずだ。ただ、もし運転に慣れた若者なら子どもの様子を見て速度を調整し、すっと抜けていったに違いない。それはそれで危なく、歩行者としては遠慮してほしいのだが。
そもそも自転車は軽車両だ。自動車なら踏切の手前で安全を確認してから進むだろう。私たちが背後の自転車に気づかなかったのは確かだが、この女性も接触の危険を予測していなかったなら、運転技術としてはお粗末だ。今回は子どもが10歳だったから大事にはならなかったが、もし3歳児だったらどうなっていただろう。どう動くかわからないので自転車は最徐行すべきだろう。ここは児童館や子どもがいる施設が集まっており、子どもの多い場所なのだ。やはりいくらかは自転車にも非があるのではないか。それが何%かは人による気はするが、100%こっちが悪いみたいな雰囲気にされて、納得がいかなかった。
踏切の道幅は2メートルほど。越えた先は坂道で、自転車が加速したい気持ちも分かる。人2人と自転車がすれ違う余裕はあるが、歩道と車道が分かれていないため、互いに気を遣わざるを得ない道だ。
先に“結論”と書いたが、それは納得ではなく、そう言わざるを得なかっただけ。なーんだ、結局は私が悪者なのか。他人のせいにすれば「他責思考」だと言われるし、これが私の悪い癖なのかもしれない。ただ、このもやもやはどこに持っていけばいいのだろう?
「自分が気をつければよかった」と片付けるのが大人の対応なのかもしれない。だが、自転車にも問題はあったはず。狭い踏切、坂道、電動自転車の多さ、運転技術の未熟さ――そんな条件が重なり、この地域の住みにくさをつくっているようにも思える。
お互いの配慮不足というと相手は怒るかもしれない。面倒なので、自分のせいとして終わることが最近は多い。日常の何事も自分のせいにしておくほうが楽だ。でも、結局、誰のせいとも言えないのではないか。
けれど、人と人との配慮がなければ気疲れする場所である以上、こんな道をつくった都市や社会そのものが悪いのではないか、とすら思えてくる。こういう場所のない、道が広い片田舎にいけば解消されるのでは?と勝手に期待している。
…こういう話を深刻にすると「頭がおかしい」と言われるのだが、それでも私にとっては自分の眼の前の社会を考えたいと思うきっかけなのだ。一瞬の出来事ではあったが、なんとも難しい瞬間だった。
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