Xでこんな投稿を見かけた。
「障害者のいる施設で働いていますが、植松の思想に共感するところがあり、いつもそのことを考えてしまいます。もちろん、プロですしやってはだめなことはしません」
案の定リプがあれこれついていた。読む気もなくスルーしたが、少し気になった。本当は、リプがついたからアルゴリズムに拾われ、その投稿が目立っただけだ。その結果、私の目に触れただけにすぎない。けれど“理由”と“因果”は同じではない。視点が加われば価値判断が混じり、事実は順序を組み替えられたものになる。しかも、インターネットで得られる情報はすべて、アルゴリズムによって主客が転倒している。それが苦手で、私はブログという主観の外在化によって考えのバランスを取ろうとしている。つまり、事実とはつねにフィクションなのだ。そして「本当は」という言葉さえ、本当かどうか怪しい。まあ、それはさておき…
自分の仕事に関する怒りが会社の体制や上司・先輩・後輩に向かうのならまだ理解できる。だが、障害者そのものに向かってしまう人は、単純にその仕事に向いていないのではないか。そういう人でも心の折り合いをつけて働き続けるべきなのだろうか、などと考えてしまった。
部外者が植松の思想を口にするなら、まだわかる。一定の理解もできる。しかし、自分の場合は根本的に価値観が違う。そもそも私は「自分の人生にあまり意味はない」と思っている。同様に「他人の人生もそんなに意味がない」とも思う。たとえば「アフガンで人道支援をした中村哲の人生は意味があったのか?」と考えてしまう。もちろん彼を非難するつもりはない。ただ「人生に意味を与える」ということ自体が、時に弊害を生むのではないかと思うのだ。
この考えは危ういかもしれない。ただ、そこから「障害者には生きる価値がない」という植松的な結論には至らない。むしろ、意味なんて誰の人生にもないからこそ、優劣を持ち込むのは錯覚だと感じている。おそらく「自分には生産性がある」という意識──事実かどうかはともかく──そこが優生思想へ分岐する地点なのだろう。
先日、公営プールで軽度の知的障害のある子が楽しそうに泳いでいるのを見た。その子に寄り添う親は70歳近くで、子どもは30歳前後かと思われた。私は「この子は幸せなのだろうか」「親が亡くなったらどうするのだろうか」と考えた。けれども、最終的に「幸せなのだろう」「どうにかなるはずだ」と思うしかない。そう思えなければ、そもそも自分が生きていられない社会になってしまうからだ。
一方で、Xでは「子どもなんか持つものじゃない。責任がとれないしコストが高い」という発言もよく見る。多くは自分に向けた言葉なのだろうが、それが同時に「他人にも向けられる」ことを忘れている人が多いように感じる。
実際、世間には「年収800万円ないと社会のお荷物」「子どもを産まない結婚は無意味」「ブスは生きている価値がない」などの言説がある。もっと軽いものでも、「佐々木希と結婚して浮気するとか意味がわからない」といった発言などもそうだ。つまり人は何かしらの価値基準を前提に、他人の人生を裁いてしまう。もちろんそれもその人の勝手だが、実際にはただのフィクションである。そのフィクションを絶対視して、他人の命や人生まで決める権利があるかのように振る舞う人が一定数いる。そういう人が革命家になったり犯罪者になったりするのかもしれないが。大多数がそこまで行けないからこそ、社会のバランスは保たれているような気もする。
価値基準の話を別の場面で考えると、
「再就職できる力がない人はベンチャー企業で働くな」
「お金以上に使命感がない人はベンチャー企業で働くな」
といった言説もそうだ。たしかに納得できる部分はある。お金だけを求めるなら、大企業に寄りかかったほうが得だろう。だから「ベンチャー企業で働く人は基本的に大企業に行く能力がない人だ」と決めつける人もいる。まあ、欲しいのが数千万円のボーナスなら、高額ボーナスのある会社に就職するのが幸せに近いと思う。
自分もストックオプション付きの仕事を提示されたことがあったが、毎月の給料は目をつむるにしても条件はせいぜい数千万円。しかも結局は断られた。ならば、インディーズゲームで当てる夢を追ったほうがまだ夢があり、ライフワークバランスもとれる。ライフワークバランスを絶対視する気はないが、どうも自分には「他人と狂騒(共走)」するセンスがないらしい。だからこそ、自分の中で価値観を「所詮はフィクション」として抱え込み、醸成して開花させる夢を見たほうが、自分にとっても他人にとっても良いだろう。
思い上がりかもしれない。でも結局はフィクションにすぎない。
そして、気づけば私は「もうベンチャー企業で働けない体」になっていたのだ(苦笑)それを理解した上で、虚構に身を委ねることもまた楽しい。どうせ行動には移さないのだから。
……で、結局何の話をしていたんだっけ?そんな考え間違っているよ!、って上から目線で言いたかっただけかなぁ。
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