ここでバカって言っているのは、自分のことで他人のことではない(言い訳)。
別に欲を否定するつもりはなくてむしろ肯定したいが、知識を得る=勉強をする、ということが好きな自分を肯定したくて、「私は知識欲がある」とか「私は知的好奇心が旺盛だ」と言うことがある。自分でも言ってみたことがあるが、人前で語れるほど知識があるわけでもない。むしろ人一倍引き出しが少なくて記憶力がない。でも知識を得たり数多の中で転がすことは嫌いじゃない。
それはさておき、なんだかいい年して大人げないというかバカっぽいふと自分に対して思った。
もっと綺麗な言葉はないものだろうか?
⋯というより、欲とか好奇心で動いている様ってよくよく考えると違うのではないか?そもそも、わたしにはその手の欲や心がない気がしていることに気がついた。
でも、わりと自分の知りたいことを知ったりすることは嫌いじゃない。これってイコール、知識欲やら知的好奇心のなせる現象と結果なのだろうか?
ちょっと違うのではないか。
勉強するもっともなシンプルな理由は「知識がないよりあったほうが、生活を豊かにする」ではないか?
音楽を聞いた時に、「ああ心地が良い」でもいいが「その音楽家の人生や音楽史における位置づけ」とか楽典とか知らないよりは知っていたほうが楽しいだろう。
勉強には(お金をかけることもできるし、お金をかけることはある意味で尊いが)お金をかけないですることもできて、かつの勉強によって楽しめるのならば、とても良いことだ。
というわけで、私なりに知識を得る「私」について語る場合、「知識欲がある」とか「知的好奇心がある」のではなくて、「知識がないよりあったほうがいい」なぜならば「(楽しみが増えて)生活を豊かにするから」と位置づけたほうがいい。
また、知識を得ようとする時の指針として、闇雲に積み込むのではなくて、自分が楽しむにあたって必要な知識を必要な時に必要なだけ、無理のないレベルで取り入れればそれでいい。ということになる。特に大きな変化を望んで、自分を追い込むみたいなことをする40代(というか実はあまり年齢は関係ないのだが)みたいな人はいたが、ふつう変化は小さく限定的なものですし、年をとった人ほどそれで満足しておくべきだと思います。
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