戯言|森毅(もりつよし)という数学の先生がいてだな。

徒然草2.0

私は事なかれ主義とか放任主義だと周囲に思われているところがあり自分でもそう思っていて、もしくはいい加減であるとか変わっているとかその手の評価をされているような気がするのだが⋯そうなったのは誰の影響であるか?とふと考えたところ、影響ってほどでもないけれど、いい意味で思考を真似ている人がいる。どっちかというとダメな自分を肯定してくれる人という位置づけだと思うが、、森毅(もりつよし)という京大教授であり数学者である。私より上の世代で実用書を好みかつ、特に数学が好きな人はこのひとの名前を存じているのだろう。最近あまりこの人の本は古いからだが手に取らないが、今俺は森毅的思考していたなぁとふと思い出すくらいには影響を受けていたってことだ。じゃあ具体的にどういう考えか?というと具体的にはないけど「守らないといけない文化は文化ではない」みたいなのはその例かな。こんな言葉だったかは分からないけど、がんばってやらないといけないようなことは、どのみち廃れる的な発想で、○○しねばならないということに苦しむ人には、ある種の閃きなのかもしれない。

森毅が合う合わないは人によりけりで、森毅の言葉に救われたと思っている人もいる一方、結構な憎悪を抱いている人もいてびっくりする。「森毅の火傷にざまぁみろと思う」と考えている人もいる。ひねくれているな。ふつうは「森毅先生の命日に思う」みたいな感想になると思うのだが。この人の本はよく読んで「ああ、そういう考え方でいいんだ」とほっとしたことが何度もある。肩ひじはらない人生たん。でも、それを真に受けて人生無駄にしたと考える人もいるとは驚きだ。今森毅の動画なり文章を読むとそう思えなくもない内容ではある。森毅の両親は高学歴(京大)で本人も東大を出て京大教授になっている。森毅が本物でスペックが高い人だからこそ成立していることを、森毅流の処世術として一般人が真似てうまくいくわけがない。とは今になって思うものの、この人の考えはやはり本物と感じて、自分ももっと力を抜いてもいいか?と思えてくる。他の学者先生の人生たんと比べるとやはり別格。結局のところどちらがよかったのだろう?私は森毅流で上手く行かなくても、それはそれで結果的にそうなる運命だったのだろう、ぐらいに思ってしまうし森毅流が自分の中で息づいているだけで結構十分な恩恵を得ていると思うのだが。

森毅は1970年代とか1980年代とかに本やメディアに出ていて、京大のエリートは森毅に教養を学んだがそれが現代の日本にどういう影響を与えたか?というと、あまり片鱗が見えないというか⋯。森毅を知っている理系の人には過去に出会うのだけど、森毅の考えに近いものを持っている人っていうのはほぼいない気がする。まあ、そんなもんか。みたいな話をしておくと「むかし森毅先生に教えてもらっていた」みたいな人とひょんなところで出会ったりするので、思い出せるようにとりあえず書いておこう。数学の学び直しにも森毅から入ってもいいかもしれない。

徒然草2.0
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