※創作です。自分の悪夢を元ネタにしたホラーです。
僕の名前は健太郎。小学五年生。
人がほとんどいなくなった山間の集落に母と二人で暮らしている。
僕の村は、近くの村がダムに沈んだ影響で、さらに寂れてしまった。家の多くは戦前に建てられたまま朽ち果て、畑も打ち捨てられている。村全体が、まるで時間の外側に取り残されたようだった。
小学校の全校生徒はたったの12人。同学年は涼(りょう)だけ。
彼は僕より少し背が低く、好奇心のかたまりみたいなやつだ。
僕の家は母子家庭だ。母の名前は昭子(あきこ)。少し変わった人で、「霊が見える」らしい。実際、村の人が時々その力を頼ってくる。昔から「お守りは絶対に肌身離さずつけておきなさい」と言われていて、今もその言葉を守っている。
父の名前は宗(そう)という。僕が物心つく前に村を出て、どこにいるのかもわからない。母は父の話をあまりしない。
学校の帰り道、涼が言った。
「なあ、健太郎。山の奥にさ、小屋みたいなのと、なんか祠みたいなのがあるんだ。行ってみようぜ」
涼は軽やかに山道を登っていく。僕はというと、崩れかけた細い道を慎重に歩くのが精一杯だった。
「健太郎!はやくしろよ!」
まったく、こっちの身にもなれってんだ。
目指す小屋は、意外と新しかった。戦後に建てられたものだろう。けれど、誰も住んでいる気配はない。山中の人通りのない場所に、なぜこんな家が……?
小屋の中には、洗剤のボトルや割れた食器など、生活の痕跡がかすかに残っていた。
小さな机の引き出しに、数枚の書類があった。
そのうちの一枚には、大きく「○美子」と書かれていた。名前の頭が見えず、誰のものかははっきりしない。ただ、それが女性の名前だとわかった瞬間、僕はなぜかその人に淡い好意のようなものを感じてしまった。
もう一枚の紙には、5年前の日付がついた光熱費の請求書。そして、もうひとつ……手書きで乱れた文字が書かれた紙。
「出生」「唯」「シザン」
どれも、子どもに関するもののようだった。
“シザン”──死産。子どもは……死んだんだ。
僕の心の中の冒険心は、一気に冷めた。
その時、涼が背後で小さく呻いた。
「俺……俺は……ちがうんだ」
声とも呼べない、湿った唸り声。
振り返った瞬間、涼が僕の首を締めつけてきた。
「ボェエエエーーッ!!」
その顔は赤茶け、目は見開き、涼とは思えない形相。まるで人ではなかった。
僕はとっさに彼を突き飛ばし、小屋から逃げ出した。
涼は追いかけてこなかった。
再び中に戻って彼を連れ出す勇気は、僕にはなかった。
僕はただ、母の元へと山道を必死に駆け下りた。
そのとき、ふと思い出した。
母が昔、何気なく言っていた言葉。
「名前が漢字一文字の人には気をつけなさい」
涼も一文字だ。そしてさっき見た名前……唯。
僕の父も宗。あれは偶然だろうか?でも、今は偶然とは思えなかった。
息を切らしながら走る中で、空が急に暗くなってきた。
雲が重く垂れこめ、山の稜線が見えなくなる。
“あれは本当に涼だったのか?”
胸元に触れる。お守りの紐は切れていない。
山が静かだった。静かすぎた。セミの声も、鳥の声も消えていた。
僕はまだ知らなかった。
この村で起こる“異変”の始まりが、もう始まっていたことを──
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