昔はもっと、自分の現実と密接に関わった夢を見ていた気がする。
夢というのは、現実に対する解釈なのだから、自分にとって深くつながっているのは当然といえば当然だ。
でも最近は、最初から「小ネタ」みたいな夢が多い。
Amazon Prime化しているというか、ジャンル別にされていて、
自分の人生の延長には見えず、そもそも「なぜこんな夢を見たのか?」すら分からないこともある。分かるときも、もちろんあるけれど。。
時代や場所が飛び越えていたり、登場人物の関係もとりとめがなかったりする。
「なんでこんな展開になるんだろう?」と、過去に見た夢のパターンと照らし合わせてみるけれど、記憶力がないせいか、似たようなリアルな出来事や創作なりを探しても見つからない。
でも、夢の中の自分にとっては、そこにはちゃんとした筋があるように思える。
それどころか、ある種の“確信”に近いものさえ感じている。
夢の中のことは見ている間は限りなく事実(リアル)に近く(夢を夢だと思いつつ見ていることもあるけど)、見ている間はたしかに“事実”なのだ。
だけど、それを言葉にしてみようとすると、どうもうまくいかない。
イメージを伝えるには、最低限の色づけやディテールが必要だ。
そうして形にしようとするうちに、肝心の「本当に伝えたかった部分」が、ストーリーの一部に埋もれてしまう。
どこからが自分の夢で、どこからがChatGPTの創作なのか、だんだん曖昧になる。
わざとらしい創作の部分なんて、いらないんじゃないか?とも思う。
でも削ってしまうと、何を言いたいのか自分でもわからなくなるから、そのままにしてある。
もっと、創作っぽくない自然な表現力――
素朴で、飾り気がない、けれど芯の通った創作力があればいいのにな、と思う。
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