戯言|「OnceHuman」を2日プレイして思ったこと⋯作業感と没入感の境界線

徒然草2.0

無料なら少し触ってみようか──そんな軽い気持ちで、ポスト・アポカリプス風のオープンワールドゲーム『OnceHuman』をインストールしてみた。敵のデザインはどこか『チェンソーマン』っぽさがあり、雰囲気も悪くない。ホラー要素にも期待していたが、2日プレイした今、ゲームは起動しなくなった。

ここまでプレイしてみても、このゲームが面白いのかつまらないのか、正直まだ評価できない。でも、ここから急激に面白くなる気配もしない。

やっていることは、拠点を作って、木を切り、野生動物を捕まえ、異形のモンスターを倒すという流れ。いわゆる“クラフト系”のお決まりパターンだ。ソーシャル要素が売りのゲームらしいけど、ソロでプレイする分にはゲームの難易度も低く、ただの「作業ゲー」に成り果ててしまっている。ホラーゲームを期待していたが、映像美とは裏腹にそういった演出も特に感じられなかった。

MMORPGとオープンワールドの“作業感”について考えた

こういうゲームをプレイするたびに思うのは、「なぜオープンワールドMMORPGって、どれもこんな気分になるのだろう?」ということ。作業をひたすら繰り返させられているような、ある種の孤独感。面白くなるかもという希望よりも、「このまま続けていて何か意味があるのか?」という気持ちが先に来てしまう。

もちろん「友達と一緒にやれば違う」というのはわかる。でも、もし一緒に遊べる仲間がいなければ、もうその時点で楽しめないゲームなのか? それって、設計としてどうなんだろうと思う。

Fallout4の“没入感”との違い

そんな気分の中でふと思い出したのが、『Fallout 4』だ。マイクラやブレワイ(ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド)ももちろん素晴らしいゲームだけど、Fallout 4の“よくできていた感”は今さらながらに際立つ。オンラインじゃないからこそ可能な演出、緻密な世界観、物語との一体感。映画の世界に入り込んだような没入感が、あのゲームには確かにあった。

同じようにクラフトや探索要素があるにも関わらず、Fallout 4では「作業をしている感覚」があまりない。それはマインクラフトにも通じるもので、たとえ作業をしていても「それ自体が楽しい」と感じられる。逆に『OnceHuman』のようなゲームは、どうしても「やらされている」という印象が残ってしまう。

作業ゲーと没入ゲーの境界線

この違いは、何なのだろう? 自分でもはっきりとはわからない。けれど、ほんの少しでも“作業感”を意識してしまうと、もうその先をプレイする意味を見出せなくなってしまう。

ゲームに対する“舌が肥えた”のかもしれない。同じようなゲームなら、過去に得た体験以上のものがないと心が動かない。ゲームというのは本来「何でも楽しい」ものだったはずなのに、オープンワールドだけは妙にハードルが上がってしまっている気がする。

これは“耐性ができた”というより、逆に“耐性がなくなった”とも言えるかもしれない。一度、高水準なゲーム体験を知ってしまうと、それ以下のコンテンツでは満足できなくなる。浪費を覚えた身体は、質の高い贅沢にしか反応しなくなるように。

まとめ:もったいないゲーム

『OnceHuman』は、雰囲気自体はとても良いのに、何だかもったいないゲームだ。開発者が本当に表現したいものが、ここにはすべて詰め込まれていない気がする。そして、もしかしたら開発コストや運営の都合もあるのだろう。この作品から「本気で勝負している」という空気が、あまり伝わってこない。

自分はまだ、“作業感がなくて没入できるオープンワールドゲーム”を探している。そんなゲームに、また出会える日が来るといいなと思う。

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