川本家の方々や義姉とかと半ば共依存な10代男子というのが、どうも現実ではアリエナイ設定ですが…純文学(の定義がよく分かっていないですが)みたいなものなのかな…としながら見ています。たぶん小説とかになれば気にならないのでしょうが、いくらメルヘンな絵柄でも漫画だと生々しい感じに見えてしまいます。
ちなみに、あの中で一番凄いのはやっぱり二階堂(≒村山聖)なのではないか。一番、熱い。あと兄弟子の島田さんが出てきたところで、すごいバランスがいい話になったな、と。川本家のごたごたは…どうでもいいや。
ただ…学級崩壊の描写というかシナリオは良く出来ていた。相手の気持ちが全く分からないイジメる生徒、その親のモンスターペアレント、いじめられた生徒の言えない心の傷、いじめを見て見ぬ振りをして終いには精神が壊れる担任、ベテランの学級主任により学級崩壊が修復されいていく…という受験勉強でぶっ壊れていくクラス→再生に至るプロセスは、大変リアリティがあった。
あと、桐山零の<視点>で描かれているが、最後の方に、とても影が薄い養母が語り手になるシーンがあるが、あれで一応はアニメの登場人物が全員救われたと言えないまでも方向性が定まって、主人公を含め「成長した」ってことになるのだろうか…。(あれ、京子お姉さんと弟は救われてなくね?と思っていたが、姉さんは派遣社員に弟は予備校生になった…ということで終わった。何も語られないよりはいいか)この養母は名前が無いが、夫の性格や人生も含めてすべて見抜いていて、また主人公のこともすべてが見えている神みたいな存在だ。主人公・桐山零が”将棋の神様”に嘘をついて、さほど好きでもない将棋に生命をかけ全力投球していたのを、一番近いところでよく見ていた人物ということになる。本来人はなまけもので、Ifの物語で、もし桐山零が自分の子だったら、ぐーたらな子にポテチ食べながらテレビをだらだら見ているような子にぬくぬくと育つんだろうなという回想が流れる…。なんでこうも自分の子と対象的にコンストラクトつけられるのかなと客観視している。つーても、やはり自分の腹から生まれた子たちのほうが重要で、遠くから見守っているだけだが。才能つーのはある種の生存本能に根ざした緊張感からしか、生まれないのかもしれない、なんて思うことはあるが、それを体現したのが新人戦に勝利した桐山零ってことを第三者視点で決定づけている。なんというか、この設定は、無能な自分には頭で理解できるものの、根本的なところで分からないことだ。あと、ある種、そこまで好きで将棋をやっていないところが、ある意味で人間なんてそんなものかもしれないけれど、自分には何だかそれが”残酷“にも見える。結果として成果が出たからよかったようなものだ。だけど、これが人間の才能の本質であるような気もする。(だけど、かなり終盤は影が薄かったけど、宗谷はそういうタイプの凡人ではなく、苦悩や闘争とは別の聖域に立っているが、そういう将棋指しの超理想像としては重要な人…これがラスボスだと思っていたが、ちょっと違った。。)
…もっと純粋に将棋指しのドラマとして描いてくれ!と思っていたが、いつしか自分も別に将棋指しドラマのところについては、あまりあれこれ言っていないや…。
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