タイトルは思いつきです。
…どっかで読んだのですが、何らかの「革命」を起こす思想には大きく2種類あり、それは陽明学とマルクス主義なんだそうです。
どちらも過去にいくらか独学で学んだことがあるのですが、人文科学というかそういった思想は現実で生きていく…特にサラリーマン生活に、陽明学とかマルクス主義の思想が役に立つか?と言われれば役に立たないと思います。役に立つとか立たないとかいうふうに、プラグマティックに思想を捉えている時点で「分かっていない」ということになるのでしょうが。自分のちょっと他人とは違う思想や行動原理の根底に実はどちらも関係するんじゃないか?とふと思いました。過激な行動をとった活動家は、陽明学に限って言えば結構いると思います。
大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛、三島由紀夫…まだ探せば出てきそうですが、みんな壮絶な最期を遂げた人ですが、彼らの心の支えというか信念の下地に陽明学ががあったのではないだろうか。
自分至っても、最近どうも捨て身で生きていない。
だから、ダメなんじゃないかなと。単純(苦笑)
体調が良くならないことを自分で言い訳にしている気がします。
ドバイから帰国しないガーシーの本じゃないけど自分のスタンスは「死なばもろとも」の精神じゃなかったっけ。
いつしか中途半端にバランスをとろうとしていて、知らず知らずのうちに”腐っている”気がしている。
少し前に珍しく「君は真面目すぎる」と言われたが、じゃあちょっと不真面目になる方が賢いのか?と言えばそうじゃないだろう。自分の信じる理を信じて何が悪いんだと、怒らなきゃいけないのではなかったか?
もし、怒らなくなくなるのが大人だったとしたら、バカでいいや。
事実として、真面目なんていうのは現代において、バカと同義語だろう。
どうせバカならばバカのまま、バカは死んでも治らないし。
客観的に間違っていても主観的に正しいのならば、どんなにとんまでまぬけでもその生き方というか死に方は常に永遠に正しい。
自分の感覚に従うと決めるとそういう他人が咎める多少の間違えなんかは、些細なことのよういしか思えない気分にもなってくるが、それでいい、それがいい。
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