40代になると、ほにゃらら…
50代になると、ほにゃらら…
だれしもその年代になると先が見えてきて、
自分を許してあげられるようになったとか、
昇進ができずに万年平社員でうだつが上がらないとか、
そういう音声を世間の声として聞いている。
…聞いているってことは、
わたしの耳というか脳がそういう声を受信をせざるを得なくなったということなのでしょう。
ただし、そんなに実感があるわけでもありません。
自分に関係するけど、あまり関係ないことのように聞こえているんですね。
ただ行き着くところは死なのになー、
…いや、それはいくらなんでもぶっ飛び過ぎな気がするが。
極端だから、突き詰めるとそういうことになっちゃうな。
しかし、それによく考えれば今は仕事があるが、この先はどうなるか誰しも見えない気がするし。
どんな仕事をしていても、そういう気分になるんじゃないかな。
公務員として働いているとかならまだしも、民間の小さい企業で働いていたら尚更で。
勝ちか負けかで言うと限りなく負けているような気がして、
これから例えば経済的に劇的に良くする手段はスモールビジネスを当てるとか、
そういうことになるけど考えてみるとすぐ壁にぶつかる。
ほんとのスモールなビジネスはいくらでもあって、
ほそぼそとニーズを拾って小銭を稼ぐって手もあるけれど、
それならタイタニックなみの大きな船にのっていたほうがマシだったのかもな…と、
自分がやっていることの非効率さに辟易してくるというか。
…で本題ですが、Quoraとかでやたらキラキラした人の音声とか見ると不安になるというか焦るというか、そういう気分になるので、そういう気分を解消するのがコンテンツにならないのかな?と思っています。そういう声を集めて一体なんの集合知になるんだ?というと苦しいところですが。叫ぶと楽に成るというのは確かにあるようです。一神教の世界であれば、それが神になるわけで、牧師とかに告白するっていうのも、つまるところそういうストレスを解消する効果があると思うんですよね。ただネットがストレスを解消させるなんてことを、私自身が信じていないところはあるんですが(汗)ただブログを書いているということは、自分の精神衛生上にはいいみたいなので、この先になにかストレスを解消することに繋がる何かがあるんじゃないかなー?それがどういうサービスであるのか?と言われると難しいんですが。
…堂々巡りだな。
…というわけで、非効率の中で一番すがすがしく生きるには?を、時代に流されずこれからも追求して行こうと思うのでした。というかそれしかないな。この場合において負けとは即それが死しかないように思える。逆にポジティブに言えば生きているだけで勝っている。と思えば気が楽だ。
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