戯言。護憲派という暴論。

徒然草2.0

「憲法は守らなければならない」…理解できる。

「憲法は権力者を縛るもの」…理解できる。

「憲法9条は違憲」…理解できる。

「憲法に合わせて、現状を変えるべきだ」………理解できるが、色々な問題が出てくる。

自衛隊はどう考えても軍隊だから…しかし、戦争を放棄すると言っても戦争してくる相手にどう対応すればいいのですか?という疑問について護憲派からはまともな回答は得られない。

そもそも軍隊や軍隊に準ずる体外的な武力行使のない国はない。

(※「軍隊を保有していない国家の一覧」調べるとその手の国家はあっても、別の国の武力組織の配下にある等の何らかの理由がある。当然ながら日本も例外ではない。

日本の憲法改正についての議論はなかなか進まない。仮に進んでも一部の人の意見に大衆が従うだけで進んでしまった結果に過ぎない。そんなことを言うと身も蓋もないが、そんな気がする。

憲法が守られるのも、憲法が変えられるのも、ただ民主制の皮を被った大衆迎合でしかない。

チャーチルは民主主義は最悪の政治形態だと言ったことと、プラトンが少数の哲人による政治を行うべきとしたのは、おそらく同じ理由。まあ、古代ギリシャと近代の2000年以上の隔たりをすっ飛ばして関連付けるのは飛躍した暴論というか雑だけど、現状を変更するデメリットの責任を護憲派は取る気がないという意味では意図なのか無知なのか他の理由かはさておき議論と責任を放棄することもまた正しい議論をして意思決定する民主政(民主主義の本質は多数決ではない)においても一種の暴力ではないか。

大勢により選ばれる多数決は正しさを担保しない。日本の民主政が担保するのは大勢が納得しているということだけだ。例えば、会社の意思決定を多数決で決めている会社はない。そんなことしたら誰も事業に責任をとらず会社は潰れる。しかし、会社よりも規模がとてつもなく大きな国家の意思決定プロセスはなぜか民主主義がベストだと考えられている。少なくとも世界的には半分より少ない民主主義国の国民はそう思っている。そのうちの日本の憲法は、国会議員の3分の2の賛成がないと変えられない。もはや、変えさせないためにそうなっていると言ってもいいのでは。

簡単に変わらないものが変えられる時がきたら、それは明らかに何らかの危機が迫っている時ではないか。堅固な憲法も堅固な憲法が変えられる時、いずれにしても表裏一体でバランスが崩た時…変更のプロセスが柔軟性に欠いている。どちらにせよジレンマではないか。

徒然草2.0
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