ITエンジニアの仕事は基本的にペシミスティックな態度をとれる人が向いている職業だと言われていますが、エンジニアリング的な行為は過去にできたことを組み合わせて開発するという意味では、クリエイティビティな行為ではありません。同じ作ることでもエンジニアリングはただの再現になりがちくらいのニュアンスで言えばいいでしょうか…。
過去の実績を積み重ねて再現性を高めて最適解を求めていくことが正解=エンジニアリング…という枠を正しく外すのがコーチングであって、成功哲学の本質なのだということになるのでは、とふとオ思ったりします。ものを作る仕事に付く人は自分がエンジニアリングをしているのかクリエイティブをしているのか、きちんと認識してやったほうがいい。
夢がコロコロと変わる人=言うことがコロコロと変わる人=信用されない人という側面があるけれど、考え方によって軸がぶれていなければOKと言える(むしろ言うことがコロコロ変わると言われる人はコミュニケーション力がないだけで、本人の頭の中ではアベコベなことをしているつもりはないはずだ…すくなくとも私はアベコベではないと思っている)。
起業家は言うことがコロコロと変わるところがある。陽気でポジティブなのかもしれないけど天の邪鬼にも見えるかもしれない。それを見た、きっちりしたいひとには、ブレているように見えるところもあるが、実はそれくらいのほうがちょうどいい面もふんだんにある(これをドリームキーラーになりえる人に理解してもらうのは難しい)。人に言った瞬間にwant to は have to に変わってしまう。ただし、ドリームキラーの言うことは聞くものか!と決めている人にとっては「人に語ってもあまり問題はない」のかもしれない。合理性と突飛さは結局のところバランスなんだけど、必要に応じて適切に使えるようになることが望ましい。…が、これは逆説的になり堂々巡りになるが、バランスさとは退屈さでしかない。バランスさも極端もまた人間の一側面に過ぎない。
ギャンブルができる人と理性を働かせる人の2面が揃うことで、プロジェクトを最適に推し進める力になるうる。成長する企業では、その役割を別々の人が担っていることがある。一人の人にギャンブラーと合理主義者を同居させるより効率がいいのだろうか?…わからん。
ギャンブラー=クリエイティビスト、エンジニア=合理主義者、というのは雑な結びつけですが…まあそれはさておき、自分は本質的に流動的なスタンスでクリエイティビティストになりたかったが、メシを食うためにエンジニアリングをやってきた(たぶん)。
クリエイティビティストのみで生きる自信が無かったからだけど、最近はその辺をきちんと自覚した上で2つの車輪を回していかないと行けないな…と思った。どっちを伸ばすかどうか、どっちを伸ばしたいか、これは事の本人が選択しないといけないことで、選べない人にはそのへんの事情に詳しい人に会って話を聞いて、理解した上でスキルとして伸ばしていかないといけないことなのだと思ったりする。
逆に2つの車輪のうち2つない人というのもいて、どちらの車輪も望まない人にとっては、それを押し付けるのはとても難しいというか、無理。私は別に人には2つの車輪があるべきだ!という気もないし、別に無くたって大きな問題はない。私から見て「2つの車輪がない」と思っても、その人が別な面では本当は車輪を持ちわせている可能性もあるわけだし、人の性質を勝手に決めつける気もまったくない(決めつけはよくない)。人のいいところ見るなんていう行為も、本来は独りよがりな行いだし。
…あ、話が逸れた。この苫米地英人氏の動画が面白かった↓「ゴールは人に言うな!」というのが発見だった。
参考動画
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