戯言。老人になっても年100~200万円を稼げるシステム作る方が大事では。

徒然草2.0

IDCの調査によれば、2010年に生産&消費されるデジタルデータは988エクサバイトだったそうです。しかし、2020年にはその60倍の59ゼタバイトのデジタルデータが生産&消費されているそうで、実に60倍になったそうです。なお、その量は年々増え続けているそうです。2030年は何倍で2040年や2050年になったら、どのような情報空間が私達の目の前に広がっているんでしょうね?想像もできないですね。

私はブログでほそぼそと稼げないか?などと取り組んでいますが、人力で取り組んでいる以上この情報量の増加にはかないません。情報のストックビジネスなんて言っていますけど、世界の情報量の増加のほうが、記事数を積み上げる速度よりもずっと早いですし。

ただ、トレンディな個人の視点で書かれるブログというのは、VRやメタバースが流行ろうが当面は小さくても残ると思います。文章を読むという行為は電子書籍という形でも必ず残っています。学問も基本的に文字情報で、それが別の表現に取って代わるということはまだ起こらなそうです。

…とはいえ陳腐化された文章には基本的に価値はないでしょう。古文書や古書や古雑誌のような時代を物語る文章なら別ですが、個人のブログ記事はゴミの山で限りなく無価値。頭が痛いですが。。というのは先にも書いた通り、ずっと利益を上げ続けるブログを作るというのを、心の隅で目標に取り組んでいるためです。どうでもいい文章でもブログを書いていればアドセンスの収益は上昇し続けると思っていたところがあります。

表題の通りで人生のライフプランという観点から言えば、60だか65で引退して死ぬという人生は今後難しくなっていく。年金も現役世代に頼るシステムである以上は少子高齢化・人口減少が加速する以上は頼れないので、何歳になっても死ぬまで自分でお金を稼ぐ必要があります。その1つの方法が情報生産ではないか?と思っています。ある情報とある情報をくっつけて新たな視点を想像する。具体例をあげるとブログ。あとは今流行り(というには遅すぎると思いますが)動画作成。ちょっとした絵や写真でもいいかもしれません。デジタルコンテンツを生み出すことで利益を得る。少しでも作ったものに見る人がいれば商売になります。後は何らかの情報提供をするサイト。情報の作り方はWebクローリング&スクレイピングでも生成AIでもなんでもいいけど、リアルな人に役立つアプリを作ることで社会的な意義があるものを作ることで、なんらかの収益を上げることができる。そういうシステムを作っておいて所有しておくことが重要だな。そんなことを考えています。ほんの少しでも上手くイケば社會におすそ分けできるが、そこまでいけるかもわからない苦難の道だな。ぼやき。

日本人は死ぬ時に貯金が多いそうで、それを悪く言う人がいる。自分も典型的な日本人らしい。おそらくこのまま人生が上手く行けばであるが死ぬときがもっとも貯金額が多いくなるだろう。イタリア人などはキリギリス体質でアリ体質の日本人とは違うらしく、お金を使い切って死ぬらしい。お金が市場に回るという意味では経済的にはイタリアのほうが健全だと言えるのかもしれない。でも日本の場合が不健全だというなら健全にするのは簡単で、使ってもまたお金が入ってくるような経済にするか、持っているだけで資産価値が下がっていくような仕組みにしてしまえばいい。その制作の1つが金融資産税かもしれないが、これはある種の罰則なので辞めた方がいい。お金の価値を利息が付くよりも下げてしまえば良い。つまりはインフレを金融施策で起こせば良いのではないか。そしてお金がない不安を払拭するため、お金がない人にはお金でなくてもいいから生活を支えるサービスが必要。世の中にはお金がない人がマジョリティであるので、たとえば現物支給やベーシックインカムを行う。お金がただで生まれてより国民が怠惰になることを懸念する人がいるが、もともと日本人に限らず人間は怠惰。働く人は働いてより豊かになり、そうじゃない人はほどほどに生きられるようにしておくほうが、お金の価値は相対的に下がるし犯罪率も下がる。人々に余裕があることで、失うものもあるかもしれないが、そういった”ゆるさ”があるほうが無駄に厳しいよりはマシ。

ベーシックインカムがあれば、どうやって小銭を稼ごうか?などという拝金主義的妄念に私も取り憑かれなくなり、より健全な文化的創造(ちょっと言葉が大げさ過ぎるけど)に打ち込めるようになる。(お金がなくてもできる趣味に限定されるが)本当にやりたかったことに取り組めることができるようになる。ということをぼやいていても仕方がないので、ほそぼそと生きるためのマネタイズ・システムをこさえようとしている。金融資産があれば年3%の利益を稼げるので3000万ちょっとあれば年間100万ぐらいは収入がある。これだけでは暮らせないので+200万あれば、どうにかなるかしら。まあ、考えが甘いのは確かだけど、低欲望社會で消費をセーブすれば2人ぐらい生きていく勘定にはなると思っている。現在進行系でそんな収益システムを作ろうとしている。よくわからないのはなぜ私がそういう思考に取り憑かれているのか?であるが、それについてはまた今度考えてみようと思う。

徒然草2.0
スポンサーリンク
シェアする
gomiryoをフォローする
ごみぶろぐ

コメント

タイトルとURLをコピーしました