最近、40代になり筋トレが億劫になってきた。肩こりや四十肩の後遺症がひどいので、なんとか体を動かすことで健康維持をしたいとは思っているが、よく考えると筋トレって経済的生産性がないよな。
体を動かしてもお金が貰えないので、どうせなら体を動かして同時にお金が貰えたらいいのに。などと思っている。
20代の時に社会人となり仕事だけをなんとかしながら生きていたら腰痛になり、筋力不足が腰痛の原因になっている気がして、お金を支払って道場に通って柔道や格闘技を教えてもらっていたり、フィットネスジムに行ってみたりしていたが、よくよく考えてみると体を動かすことにお金を支払っている。
体を動かす力=労働力を提供する代わりにお金をもらうのに、体を動かしてお金を払っている。
道場やフィットネスジムを維持することコストがかかるのは承知しているが、そもそもスポーツとか筋トレというのは都市型のサービスである。この部分の当たり前を疑わないのはおかしくね?とふと思った。お金を払って体を動かすなら、お金を貰って健康維持のための運動できればいいのに。
まあ先に行ってしまえば、運送業や農業に従事しても効率的に筋肥大するわけじゃないから、労働と筋トレは一緒にできないらしいのだが、私の場合はとりあえず体を動かしたいわけで、とりあえず体が動くことをマネタイズするのは経済的合理性があるというか、当たり前な気がする。
若い人が見ているイケてるメンズになる方法みたいな、自己啓発のカリスマみたいなの見ていると細マッチョよりややマッチョな男の子が筋トレしている。まあ、おっさんの筋トレ動画も沢山あるから、筋トレを極めることは全年齢型のダンディズムなんだろうけど…筋トレをすると仕事もできて女にモテるということらしいけど、なんというか都市型の成功術なんだよな。筋トレをルーチンにしてテストテロン値を上げるのはいいけど、そこに労働を交えればいいのに。リストウェイトをつけてUberをやるとか、二宮尊徳的に本を読みながらUberやるとか、そういうのはないよな。それでもいいと思うんだけど。一石二鳥を狙うのははしたないとか?そんなことないよな。
筋トレが面倒だという理由ではないが『グラップラー刃牙』に出てくる花山薫は筋トレは女々しい行為だと考えて否定している。最強キャラの範馬勇次郎でさえ筋トレは否定しておらずむしろ好きそうなのに。筋トレ自体は目的化するものではなくて、やはり別の目的のため(モテるとか、仕事がデキるとか、多幸感を得るとか、頭がよくなる、ダイエット等)取り組んでいる人が多い気がするので、筋トレ自体が目的化している人も中にはいるだろうが、世の中の大半の人には筋トレは手段であって目的ではないんだよな。
でも、たぶんだけど筋トレ動画を上げているような人たちは「筋トレが人生の目的」であって、筋トレ動画を見ているだけの人は「筋トレは(人生を良くする)手段」なんだよね。絶対ここのズレがある気がする。
こどもと公園でバドミントンをやってみたが、ラリーが続かないので、各々でバドミントンをすることになった。はじめは、リフティングをする。ラケットの面を水平にして何回か空に向かって羽をポンポンと連続して上げてみる。遊具用のバドミントンの羽はプラスチック製でまっすぐ飛びにくい。また屋外だと風があるから着地する地点が読みずらく嫌でも体を動かさないといけない。高く打ち上げると着地点の目算がつきづらい。かといって低すぎても羽の軌道が安定しない。ほどほどの高さでリフティングするのがいいらしい。次ぎに、どこまで飛ばせるか?スマッシュをやると羽が落ちたところまで小走りで行かないといけない。それがいい運動になる。独りバドミントンは以外に体力を使うことがわかった。あとは公園でブランコに乗ったが、大人がブランコに乗ると体にあっていないせいだろうか、私の運動不足のせいだろうかけっこう力を使う。腕をしっかりひいてないと体が落ちてしまうし、ブランコの揺れを大きくするほど、腕を引く力を強くしないといけない。これがいい運動になった。ということで年の瀬で人が少ない公園はよかった。不可抗力で適度に体を動かす仕組みがあれば自然と体は動かさざるをえない。それで十分楽しいアクティビティなわけで労働と一緒にするのは無理があるのかもしれない。
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