いつもの戯言です。
中島みゆきの「ファイト!」に「私の敵は私です」というフレーズがありますが、その次はきっと自分の周囲にある組織でしょうね。
そして、最後に外敵になるのではないか。
私たちはその順番をよく間違える。
外部に敵があって、次に組織があり、最後に私だと考えがちだ。
それは違うのではないか?と思う。
外部に敵がいるから組織化しているんだと組織に思い込まされ、組織は自分の近くにあるもので、組織は自分のためにあると吹聴する。
組織は外敵を組織の結束力を高めるために嘘をつく。
私を滅せよ!、組織のために行動せよというスローガンを、無意識レベルに浸透させようとしてくる。
強い言葉を発すると人は拒絶するから、なるべく気が付かないように忍ばせてくる。
そうして、組織は知らぬ間に私達を洗脳して外部の敵のために自らが私を殺す。
(これは比喩表現だろうかいや比喩表現とは限りません)。
その被害のほうが、ずっと外敵からやられる量よりも多いのに…対象をとらえ間違えたまま死んでいく。
組織は外敵から身を守る蓑のようなものである前に、使い方を間違えれば極めて危険な道具になりうる。
本当は組織の内部犯を締め出すべきだが、内部犯もまた自分と同じ人間である。
だから突き詰めれば外敵も組織もそして私自身もまた同じ人間であり、
自分自身の信じるヒトそのものをどうとらえるか?が肝になる。
結局、3つのうちどれにフォーカスしてどれと戦うのか?ぐらいの違いしか無い。
でも、行動を変えれば結果は変わる。
で、一番効果的な原理的な部分で言えば私に勝つのが良いが、その前に前提知識として、
「組織の嘘」に騙されないことも大変重要だ。(この記事のテーマ)
組織とは言い換えれば自分の周辺にいる他者のことである。
なお、いちばんほおっておいていいものは「外敵」であるのが、現代における特徴なのかもしれない。
対処の優先順位をつけるとすると、以下のようになる。
他者 < 自己 < 外敵
これは具体から抽象に並べると、
自己 < 他者 < 外敵
になるわけで、たぶんこのように捉えがちだが、
自己とは他者の合わせ鏡であり自己対する洗脳装置は他者なので、
「対処」と考えた場合はまず「他者(組織)」に与えられる情報を止めることのほうが順番としては先。
止めるというのは遮断するという意味ではなく、とりこんだうえでどのように対処するのか、態度を決めるということ。
他人から情報与えられる → 自分の行動を決める (外敵の状況を気にする)
…極めて保守的な態度になるわけだけど、合理的に考えるとそうとしかならない気がする。
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