スピーチで何を言うか、覚えたはずなのに忘れます。誰にでもあることかもしれませんが、自分でもびっくりするくらい、ほんときれいにさっぱり忘れます。しかも、それが日常茶飯事とはいいませんが、わりと頻発します。部屋は散らかっているのに、頭の中は何も入っていません。困ったものです。人間嫌になります。
次から次へと忘れるのでノートにメモしたり、ふと思い出したことを買いたり、本の内容を要約して後で見返したり、色々なことをしています。改善したいとか補完したいとか勉強しているとか、まあそんなことを動機の1つとしてブログに文章を書いていたりもしますが、やらないよりマシになる程度でさほど自分の脳力向上にも記憶を補うなんの役に立っていません。自虐的になりたいわけではなく、現状認識として書いています。
それで「認知症みたいだ」と言うと認知症の人に怒られると思います。正確には認知症患者がいるご家族に怒られると思いますが、本当に言葉がでてきません。
ただ「カーテンしめたよ」と言いたかったのに、カーテンという言葉が出てこず、部屋で目に入ったせいかカレンダーと言ってしまい、カレンダーとエスカレーターってなんだか似ているなと思って口にしたところ、エスカレーターと同じでフロアを移動するエレベーターがふと頭によぎって、エレベーターと言ってしまう。「カレンダー!エスカレーター!エレベーター!」と声に出したまではいいが、少しはカーテンに近づいていけばまだいいほうですが、どんどん遠ざかっていく。「最初っから指さしてアレしめた!」って言ったほうが、まだかわいいバカかもしれません。
最初にそもそも何が言いたかったのか「カーテンしめたよ」を言いたかったのかもよくわからない有り様で、人に説明しようがないから無意味な独り言ってことにしておこう。はあ。
大人になってからはごまかせるようになったけど(ごまかせているのか知らんけど)子どもの時にそもそも何が言いたいのか分からなくなって相手に伝わらず悲しい思いをしていた気がする。
何が言いたいのか?と聞かれても、何が言いたいのか忘れてしまってわからない。
しかたがないから「カレンダー!エスカレーター!エレベータ!」って言いたかったんだと意地を張る。そんな訳のわからないことを言う人とは、関わりたくないなんてことは自分でもよく分かっている。
他人に言ったところで相手にされないことを抱えている人ってネットでは意外に多いと思うことがある。じゃあ、それを言葉にしたらなにかになるかと言うと、まあ別にならないけど、似たような症状で困っている人がいたら、共感はしてくれるかもしれない。
でも、まあそんな人たちであつまって傷のなめあいしても何も楽しくありません。自分より不幸な人を見つけ出して上から目線のオレを発見したくない。そのうち性格が悪いことにも気づかなくなることは分かりきっているので、なんだか浅ましい気がしてきて人からは遠ざかっていく。そういう人たちが生きていける社会って、当たり前だけどSNSとかじゃないし、リアル共同体でもないと思う。せいぜい知人が1人か2人いるくらい。
…こういうことってたまに書いているけど、書いても数日後にさっぱり忘れていて、3年ぐらいたって見ると「これって本当に自分が書いた文章?」と思う記事も多く、それがけっこう面白い。書いているときは自虐的な記事じゃないつもりらしいけど、読んでみるとすごい自虐的な人だなw元気出せよwwwと思っている。性格悪い。
…記事の蓄積が増えれば増えるほど、未知の文章に出会う機会が増える。
(日記帳でもいいけど、)そういう理由でブログを書くことをオススメする。
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