夏目漱石の「こころ」を読んでいたら以下の記述があった。
私は移った日に、その室の床に活けられた花と、その横に立て懸けられた琴を見ました。どっちも私の気に入りませんでした。私は詩や書や煎茶を嗜しなむ父の傍そばで育ったので、唐めいた趣味を小供のうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶めかしい装飾をいつの間にか軽蔑する癖が付いていたのです。
煎茶って緑茶のことか?と思ったが、唐(から)めいた趣味とある。
これはどうやら、煎茶道という習い事というか文化や思想的な行為のことを指すらしい。茶道といえば、抹茶を点てるやつだと思っていたのだが…ふつう煎茶と言った場合は緑茶の一種で、玉露や番茶や抹茶やほうじ茶などではなく、一般的に飲まれているもので「緑茶の種類」のこになるが、抹茶道と煎茶という対比だと「道」の話になる。
煎茶という漢字は古くから使われており、煎茶道(せんちゃどう)という意味もあるそうで。道教の老子思想「無為自然」の主張の現れだそうで、それは興味深い。まとめると、
・仏教(禅)の思想とつながりのある抹茶道
・老子の思想とつながりのある煎茶道
というわけで『こころ』の先生は父親の影響をあまりよくないカタチで受けていたみたいですね。思想にいい悪いはありませんが、マイノリティさを是とするところがあったのかな?まあそれはいいけど、先生と同じくと言ってはあれですが現代の日本でも抹茶道は盛んですが煎茶道はあまり聞きません。夏目漱石も述べているように、日本人は「外国の思想」として受取り、抹茶道(茶の湯)は禅=日本の思想としているところがある。まー、ルーツをたどればどっちも中国大陸から入ってきた思想な気がするのですが。
ま、いずれにしても、、煎茶道…ちょっとマニアックな感じがして興味が沸いてきました。夏目漱石の『草枕』にも登場するそうだ。
…あー、先生のお父さんと先生は夏目漱石自身でもあるのか。
則天去私の妙味に近づけるのならば、ぜひその煎茶とやらを一度たのしんでみたい。
禅もいいけど老子もいいよね。
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