ブログに限らず動画メディアでも同じで共通だと思うが、10個の投稿のうち1つを数十人に晒してみて良いフィードバックが得られたら、それは万人にもウケるはずだ…みたいなやり方で昨今のアルゴリズムはアウトプットされたコンテンツを評価していると思われる。
…ようは何が言いたいのかというと、今でもマーケティングに関する話では「質より量が大事だ」と下手な鉄砲も数撃てば当たる的な話がされることがあるが、それは嘘でクソくだらない箸にも棒にもかからない取るに足らないものが評価されるという意味で捉えるひとがいるが、それは全く違う。とりあえず食べられるクオリティで一部の人は好むが万人に受けるかわからないぐらいの質がクリアされていることが最低条件。その上でみんなにウケるか分からないから表に出してみようということになる…そして、その回数を増やせば当たる確立も上がってくるということを下手な鉄砲に例えている。
しかし、当たる確率(ヒット率)を上げたいなら回数ではだめで極限までクオリティに拘らないとたぶんダメだということをいいたい。とりあえず見切り発車をして、いい性質のアウトプットと可能な限り質を高めていかないと受け入れられる可能性を上げられない性質のアウトプットがあって、自分が世に問うものがどちらのコンテンツなのか?を見極めて投げ込むわけだけど、その質を高める度合いが昔よりもハードルが高くなっていると思ったほうがいい。人に評価されるラインに乗れるクオリティかどうかが結局のところ重要だ。
だから、ぎゃくに80%でいいとか見切り発車すべきとかいう話はあまり信用しないほうがいいと最近よく思う。本当にこれで人の目にふれていいのか?をしっかり問わないといけないので、何をやるにしても人に評価されるコンテンツは他人の評価ありきで突き詰めてクオリティを上げること。
結論として「質より量ではなく量より質」を重視していくことが重要です。下手な鉄砲も数打っても当たりません。デジタル時代にそれはありえません。すべて回避されるだけ。狙いを定めて全集中して撃つこと。それが1つできてから、数(回数)を増やすほうが結果がでると思う。
で、実はここからが私が言いたかったことだけど、逆にこれを逆手にとればクオリティが低いコンテンツでも多少は人の目にふれるところに出さないと、それが低クオリティか高クオリティか分からないとも言える。だから、低クオリティでも完全に無視されるわけではなくて、アルゴリズムの評価に乗せるために評価はされるらしい。人に読まれないつまり低クオリティのコンテンツでも、無いよりはマシらしく更新しているとブログ全体のアクセスが多少はUPするしこの記事の結論とは真逆になるが、多少はゴミのなかから隙間を埋めるような記事が出てくることも在るようで、特定の記事のPVが伸びたりする。それを狙って「質より量」を狙う戦略も逆説的にありかもしれないと思っている。
結局のところ「質より量」をこなさなければ、その可能性に気が付かなかったので、質より量をこなす意味はまったくないわけではない。
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