戯言。敬天愛人、則天去私。

徒然草2.0

天って何だろう。神社で言えば、神様(≒あまつかみ)のいるところだが、西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」天を敬い人を愛することだけど、この天とは一体なんなの。儒教・陽明学のそれとも遠いし聖書もたぶん違う。

西郷隆盛は昼夜問わず山登りが好きだったそうなので、その最中にその境地に至ったのでは。すくなくとも尊王攘夷派だから単純に天子(天皇)様のことだと決めつけるのは早計だと思う。

なお夏目漱石の理想「則天去私」にも天の文字が出てくるがこれは弟子による神格化らしい↓天を宗教的な何かではなくて”自然”と置いた方がいいという解釈があるが、それこそよくわからないではないか。

『門』では、参禅して心の平安を得ようとしても得られなかった主人公・宗助が描かれているが、漱石自信も、宗教によっては救われなかったらしく、晩年に「則天去私」の境地に至ったなどと言われ、それも、弟子たちによる神格化だと批判されてこんにちに至っている。

引用元:『宗教に関心がなければいけないのか』小谷野敦

…ふつうに教科書にさらっと書かれていることが、夏目漱石を仏陀化したい弟子たちのせいだというのは、一体いかがなものか。。。

吉田松陰は「狂」を実践せよと述べた。本当に精神がおかしくなることとは区別される気がするが。私はニーチェの弟子として「ニーチェ先生は自ら超人ならぬ狂人の境地に至ったのだ」と言いたい。(あ、すみません。ちょっとふざけたことを言いたいだけです)

…なお、西郷隆盛が禅を嗜んだのは感受性が強いのを押さえるためだったという。みんな偉人たちは悩んでいたんだな。いや悩んでいたから偉人になったのか。というより、偉人だったら悩んでいないはずで、何か悩まない秘訣を知っているはずだと、凡人が思いたいのは一体何故なんだろう。

ちなみに『門』の主人公・宗助は宮崎駿の『崖の上のポニョ』に出てくる男の子の名前の由来みたいだが、夏目漱石の『こころ』の先生にも通じる、罪悪感に心を痛める暗い人物から名前をとったのだろうか。岡田斗司夫が考察してたような気がするが確信めいたことは言っていなかった気がする。ポニョに出てくる宗助が何歳設定なのかは知らないが、母親の名前を「リサ」と呼びつけるほどに個人主義が徹底している、ある意味で完成された人格を持っている男の子だ。ポニョと宗助が望んだこととはいへ、神と人の平和のために契を結ぶに至る。それはいいとして、なぜ夏目漱石の意識を投影した悩める主人公の名前をとったのか。暗い未来の暗示か。それとも『門』とは違う作品『崖の上のポニョ』では救いたかったのか。

徒然草2.0
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