戯言。心が弱くなるというのは、怯えたり恐怖したりすることではなく、自暴自棄になることでもなく、易きに流れることではないか。

徒然草2.0

競馬投資をしていて気がついた。

馬券が当たり、少しだけ投資資金が戻ってくると何だか楽しい。

すべてを取り返していないので負けは負け。

回収率は100%を切っている。

「でも、当たりは当たりで何だか楽しい。

お金を使わなければ、この楽しさは味わえなかった。

だから、競馬とは尊いものである。

控除されているJRAの運営費を支払っているのは当然だ

…で、その”儲けたお金”を使って次こそは勝つぞー!」…などと思ったものの、

我に返る。俺はけして儲けていない。

…いや、たしかに馬券を入れて精算を押したら、当たったお金である。

だが収支はマイナスだ。目的を見失っている…儲けてない、損している。

繰り返し負けて、1,2回の勝ちじゃ買ったことにならない。

…なのに、ちょとホッとしたり、ましてや「嬉しい」「楽しい」などと思っている俺がいるんだ。

「儲けている」は明らかに間違った意識である。

…それは人間としては正しい感情なのかもしれないのだが、

勝負師というか投資家としては終わっていないだろうか?

安易な考え方に陥っているのではないか。

儲かっていないんだから投資家としては負けている。

なんだか我ながら危ない考えだと思った。

長期スパンでプラスにならなければただの養分になっている。

 

ざわざわ ざわざわ ざわざわ ざわざわ ざわざわ ざわざわ

ざわざわ ざわざわ ざわざわ ざわざわ ざわざわ ざわざわ

 

…なんだか心が弱くなったのかな?と思うことがある。

前は心が弱いというのは、怯えたり恐怖したりすることだと思っていた。

そういったことから逃げないで立ち向かってさえいれば弱くない者だと思っていた。

無理なものは諦めるが、そういう意味ではわりと果敢に挑んでいるつもりではある。

あとは忍耐力が足りないせいか自暴自棄にならないことも心の強さだと思っていた。

まあ、別にそういう意味では逃げることもやーになってどうでもよくなることはあるわけで、

別に私は心が強いと言う気はないしむしろ弱いわけだが…心が弱いというのはよくよく考えると、

「ざわざわ」で思い出したが…。

帝愛グループの地下労働施設に送られたカイジみたいなやつのことじゃないか。

班長が奢った悪意あるビールと知らずに、小さい欲望を満たす。

小さい幸せを拾って日々をなんとかやり過ごす…これそのもののを否定する気はまったくないし、維持を張らないことも大切ではあるが、しかしながら人は自分は「易い快楽で自分を騙したくなる生き物」ではないか。弱いとはこういうことなんじゃないか?とあらゆる「楽しみ」や「幸せ」がそういう類の易さではないかと疑っている自分がいる。自分がいいと思った生き方ができているのならば、それでOKであるのだと割り切る考え方もあろう。だから、何が正解という話でもないことは承知している。なんでもかんでもネガティブにとらえるのは、それはそれでなんだか可愛そうなやつな気もする(笑)だけど、なんでもポジティブに捉えるのもおかしい話で、どれを採ってどれを捨てるか?という話に過ぎないのかもしれない。一番大切なものが手に入れられているなら幸せだと割り切るのも1つの正解な気もするが。

ここで1度はしっかりと後悔しないように省みておきたい。

易きに逃げるは心が弱い。心が弱いことは、本来よくないことである。

日常の刹那、行為の結果、「楽しい」「嬉しい」ましてや「儲かった」と、一時的な現象に心を動かされるな。感情はポジティブなものもネガティブなものもあろうが、あまりそれに意味はない。ストレスに振り回されないという意味では、ポジティブにとらえたほうがいいこともあるが、間違った判断をしてはいけない。易きに流れるは心が弱いこと。完全に流れてしまえば心を失うことに等しい。疑問に思わなくなったらおしまいだ。

クスリをやってハッピーな夢を見ているのと、なんら変わらなくなってしまう。

徒然草2.0
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