戯言。小学生の夢に「お母さん」が無くなった。

徒然草2.0

小学生の時に将来はどうなりたいか?みたいな授業とか話をすると、女子が「お母さん」になりたいとか「お母さん」みたいになりたいと言う人が何人かいた。

あれ?お母さんって職業なんだっけ?と思ったのを覚えている。

子どもを生んで育てることが幸せだという意味かもしれないし、単純に専業主婦になりたいという意味なのかもしれない。

ただ、一定数はお母さんになりたいようだ、ということをその時に知った。

でも、最近のその手の小学生の女性が何になりたいか?を見ていると「お母さん」って言うのがなくて「職業」であるらしい。専業主婦も家事手伝いというのは、「職業」に存在しないっぽい。(ざっとネットで調べた感じでは)

田舎だと家業を手伝うみたいな子もいるんだろうか。都市部だとサラリーマンが多いからそういう人はいないわけじゃないけど稀だったような。

昔と違うという意味で、とても違和感を感じたのだが気のせいか。なぜ、そんなにエコノミックアニマルな考え方を大人にさせられているのか?

…まあ、女性が社会で働くのが当たり前になったからなのかもしれないが「職業」の名前を言わされているんじゃね?と、なにか強制的なものを感じた。昔は許容された「お母さん」という職業が暗黙のうちに抹殺された?。

まあ、それは言い過ぎにしても、なりたいもの「お母さん」と言う枠が存在していないことに、違和感を感じずにはいられない。

母になるという夢を叶えるにしても、多くの庶民はよく働いて、食い扶持を得るのが母になる近道なのかもしれない。

子どもを育てやすい大手企業に入って、キャリアを築くのが女性の最大の幸せだとか将来独立して稼げる仕事に就くとか職業選択のによる生活の向上こそが「お母さん」を夢を叶える近道なのかな?…とか、確度が高いという意味で汎用な人生のキャリアをちょっと頭を捻ってみたりするが、これこそエコノミックアニマル的な考え方に染まっていて、自分が「お母さん」になりたい気持ちで一所懸命考えると結局は財布の中身を気にしており、寒気がするしなんだか気持ちが悪い感じすらする。

2020年時点で生涯無子率は27%で世界一高く今後は男性で5割、女性で4割になるという。さほど低い確率ではないが、意識的に行動しても「母になる」または「父になる」ことが何らかの理由で難しくなっていく。

昔は当たり前だった職業が消えて、少なくとも自分の父や母がそうなったように、自分もそうなるつもりだったが、そうならない人生を送る人が半分いる社会になる。

子どもが世代を越える度、二分の一になる少子化社会(私の世代の出生数と40年後の現在の出生数が2分の1以下である)。これに対して、みんな違和感を感じないのはなぜなのだろう?。マクロで考えないの?

徒然草2.0
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