みなさん、こんにちは。
世の中には勉強ができ、スポーツができ、容姿のいい優等な人がいる一方で、大多数の普通の人たちがいます。その中には、劣等な人もいるのが実情です。その定義というか線引をどこで引くのか基準は様々ですが、人を評価する又は人に評価される環境にいれば、嫌でも付きまとう問題ではないでしょうか。
…そういえば落合陽一の著書『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』に「人類全体にとって本当に役に立つ人は、国語、算数、理科、社会の4教科ですべて100点を取れるタイプよりも、3教科では1点しか取れないけれど、1教科だけは100万点を取れる能力があるタイプではないか」なんてことが書かれていましたが、で、だから何ってなりませんか?
99.99%の人が当事者ではありません。
ギフテッドと呼ばれるような天才が遡上に上げられるこんにちですが、その他大多数の凡百な人々は一体どうすればいいのでしょうか?
照射(?)されて死ぬのでしょうか。コロワクで死ぬのでしょうか。モンサントで死ぬのでしょうか。飢えや戦争で死ぬのでしょうか。たんに労働価値を失い存在価値を失うのでしょうか。
極端なことを言えば、その他の大多数の人にとって自分の価値がゼロになるのは生存を脅かす死活問題なんですが。
今の成熟した現代社会では、その優等な人にどうにか組み入れられならないと望み通りに生きられない可能性が高いのではないでしょうか。
基本的に学習能力が高い人から高い収入が得られる魅力的な仕事に就けるわけであり、優等生クラスの中でもとりわけ優秀なエリートが選ぶ仕事は限られており、ちょっと優れているくらいでは高収入を得るのは難しくなっていくのでしょう。
いずれにしても一部の天才(ジーニアス)の下に、エリートがついた優等生クラスのグループが、その他大勢の劣等なグループの土台を構成する。
しかし、先に述べたように、土台と言っても建物の土台と違って、”存在しなくてもいい“ものであり、代替可能な烏合の衆として扱われる。
…まあ、それは少し極端というか陰謀論めいてくるので深掘りするのは辞めておきますが、凡人よりも能力が劣っている劣等生クラスの人は、一体どのような戦略を立てて生きていくのが得策なのでしょうか?
劣等生クラスのグループの中にもヒエラルキーがあり、最適な位置にポジションをとる戦略が必要になってくるのです…これって、あまり語られないですよね?
少しでもマシなポジションをとるために、私たちは今何ができるのだろうか?を、希望的観測ではなくドライにリアルに考えて、正しい選択をすることが大切なのに、この世には優しい言葉やまやかしばかりがこの世に蔓延っており、本質が見えてきません。
…いや、◯◯に言っても無駄、色んな意味で馬耳東風だから、という理由で、語られないのでは?とすら思えてきます。
…と、劣等生クラスのグループに所属する自覚がある私は中学生ぐらいの時に考えたのですが、なんのデータを見たのか分かりませんが、これからは情報化社会になって行くであろうという革新があったので「とりあえずITをやっておけば食いっぱぐれないだろう」という安易な気持ちで、コンピュータについての学習をしました。
まあ、とりあえず(これから先は分かりませんが)今までご飯を食べて生存し続けているという意味では、間違ってはいなかったと言えそうですが。
…とりあえず特定分野を伸ばしていけば飯が食えると思ったわけですが、それって時間は掛かるものの誰でもできることだし、時間とともに古くなることだということがわかってきました。
少し歳をとって思うのは「結局、人は総合力」が評価される。
興味の幅を絞って専門性を高めるよりも、興味の幅を広げてバランスをとったほうが、長期的にはいい。
すべてダメになるくらいなら、専門分野だけを伸ばすほうがいいと思っていた時期もありますが、どんな学問の知識も関連しているわけで、何らかの知識が欠けているとチームプレーもしにくいのです。
…だから、どんな分野の知識も持っているオールラウンダーを最終的には目指した方がいい、というのが最近の見解です。
でもここで1つ問題が出てきます。劣等生クラスのグループとは、器用になんでもできるわけではない=国語、算数、理科、社会の平均点を努力してもとれない人だから、どれか1つに極フリした人です。とはいえ極フリしても100万点になるわけではなくて、せいぜい国語か数学で80点とれればいいほうで、平均点より少し高いくらい。他の教科は20点で赤点レベル。
世間はこれでも使ってくれるのですが、20点の赤点レベルをそのまま放置するのではなく、30点、40点と増やしていくべき。そうして不得意分野の不均衡を後から埋めていくことで、「人間の能力はおおよそ標準化される」んです。
今はオールマイティーにできなくても、1つができれば他の部分も相乗効果でできるようになったりもします。
というわけで、まとめると、子どもにせよ大人にせよ、「スペシャリスト指向で特化型の人材を育成するのはいいけれど、それでは変化が激しい時代は生き残れないし、社会も自己責任論を展開して生き残らせてくれないから、ゼネラリスト指向で柔軟に変化に合わせていく必要があるよ」です。
絞って的に当てることに注力しすぎても、他の(分野の)的に当てなくて良いということではない。
で、実はこれエリートというか優秀な人にも当てはまり、今必要にされている分野は何一つ蔑ろにしない。カバーして行く必要がある。言い換えれば、万人がリスキリングする必要のある世の中になってきているのではないか。
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