どうでもいい話を最初にすると…
「しゅうじょうど」って検索しても週浄土って漢字しか出てこなくて。
あれ、キリスト教会にいるシスターって週浄土じゃなかったっけ?と、しばし文字をよく眺めて考え込むこと数秒「修道女(しゅうどうじょ)」だった。
慣れない言葉を使おうとするからですかね。
ところで、本題ですが…なぜ修道女は神に祈るのでしょうか?
天にまします神様に祈るため?もあるのでしょうが…一番もっともらしい理由だなと私は思ったのですが…それは、、、
「教会の鐘がなるから」だそうです。
このことを知って、なるほどなー!納得しました。腑に落ちた。
…家の近くの教会にあるたまに鐘が鳴っていますけど、あれって「祈りの時間」を意味しているんですね。午後12時と午後6時だったかな。午前中に鳴っている時もあったような?
鐘に何か聖なる願いとか、そういう有り難い意味があるのだと勝手に思っていましたが、教会の鐘は神に祈るための時間を作るトリガー(引き金)だったんですね。
シスターは信心深いから神に祈っているのかもしれませんが、それ以前に鐘が鳴っているから「あ、やべー」と思うかどうかはさておき、神に祈る行為が行えるというわけ。
…これはキリスト教徒に関係なく、より良く生きるヒントではないでしょうか。
これも極めて当たり前ですが、例えば資格の勉強を習慣化をするならば「午前6時にスマホのアラームを鳴らして2時間勉強する」とかしないとダメだということ。
決められた時間を学習に当てれば、おのずと成果はでるはず。
…というわけで、まず資格の学習をすると決めたなら、試験日までに学習時間をどれだけ確保すれば合格できるかを調べる。そして、平均して1日どれだけ学習すればいいか求める(算出するという意味ね)。そして1日に決められた時間を確保して学習する。
時間をどのように使うのか?も非常に重要なのですが、まずは時間を確保して決められた時間に学習すると決めることのほうが大切です。まず時間を確保するこれができていなければ、どう使うかをいかに極めても結果が出ないです。
そして、その時間に学習をする習慣を作り出す。
これって「何をバカなことを言っているんだ」と思う人もいるかもしれませんが、何度も資格試験を受けても合格しない人…というか過去に私も何度もやっていますが、単純に勉強のしかたが悪かったっていうこともあるんですが「勉強すべき時間を確保していなかった」ってことが往々にしてあるんじゃないかと思いました。
合格する学習時間を確保していないのに、奇跡を信じて努力を積み上げる。これを完全に無駄だというつもりはありませんが、試験に合格する目的が達成できない可能性は高くなる。
計画的に学習するのであれば、まずは時間の確保ができるかどうか?スケジュールを確認して、学習を開始する時間を決める。あと学習の工夫は後で考えるとして、勉強しながら成果の上がる方法を模索する。というかひたすら勉強する。
よくネットの資格学習の体験談なんかを読んでいると、例えば「1日に1時間しか勉強できないから記憶に定着しない」とか泣き言なのか言い訳なのかわかりませんが、いずれにしても計画が甘いんだと思います。(いろいろな事情はあるんでしょうが)。部分最適化をいかに頑張っても、全体計画がダメだったら成果はでないと言ってもいいかもしれない。
ちょっと話が逸れましたが、全体最適化のための取り組みとして、まず時間を確保する。1日のウチ使える時間を作り出すには…まず特定の時間にアラームをセットして、その時間は成果を出したいことに打ち込む。時間管理の基本はこのアラーム(鐘)にあるんではないでしょうか。
コメント