横浜駅の商業ビルから飛び降た女子高生が死亡。下を歩いていた30代の女性も死亡。女子高生の身に何があったのだろう。友人と駅を歩いていた女性にとては、究極の不運だとしかいいようがない。どこにも落としどころがない事件だった。
どうにかこの事件を回避するとしたら手っ取り早い手段として「ビルが無ければいい」んじゃないかと思った。バカバカしい発想なのは承知だけど、ビルがなくてその脇に道が無ければ上から人は落ちてこない。ビルを建てた時に私達は人が降ってくる危険性をあまり考えていなかったのではないか。同様に、鉄の箱を高速で動かしてそこに乗り込む自動車なるものを考えた時に、それにぶつかって死ぬ危険性をあまり考えていなかったのではないか。そういったことの積み重ねというのだろうか。便利の先で副次的に人が死ぬことはだいたい無視されている。
ビルがあるから飛び降りるのではなく、高いところがあるから飛び降りるのだ、だから崖があったら飛び降りる人もいる。自分の意志で飛び降りる人がいるから、ビルに罪はないという意見もあるだろうけど、人が多く練あるく崖を人工的に作り出した時点で、そのへんの考えが及ばなかったことのいいわけに聞こえる。、まあ、たぶんほとんどの人は「私の考えがおかしいだけ」と言うだろうけど…無ければ起こらなかった事象があって、それが在ったことで起こってしまったら、やっぱり在るもののせいになるんじゃないのかな。そんなことを思って突き詰めていくと、産業革命以降に生まれた文明の利器はみんなその手のモノな気がしてくる。
近代的な都市の中に含まれる目に入るすべてのものが邪魔に見えてくる。
そういったハード(物質)にかぎらずソフト(概念)にしても同様で、はじめからそんなものがなければ、副次的な産物がうまれなかったのに、というものが世の中にはいっぱい溢れている。
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