IT業界には「モダンな開発環境で仕事がしたい」というITエンジニアからのニーズがあるらしい。らしいというのは、そういうような言い回しがあるだけで実際にITエンジニアが使っているわけではなくて、業界の転職市場で最新技術を使いたい人の指向性を現している言葉として非常に便利だから使われるのだと思われるが…そういう言葉は便利であれば使わなかった人たちも使うようになるので、今ではふつうにITエンジニアも使っているかもしれない「ぼくはモダンな開発環境で仕事をしているが君はどうなんだい?」という塩梅だろうか。
モダンというのは現代というような意味で使われるが、おそらく建築用語で言うところのモダニズム建築などのニュアンスがあって、「機能的」とか「合理的」というような意味なのだろう。旧来のやり方である「レガシー」の対局にあるのが「モダン」だと思われるのだが、たぶん正確な定義はないのではないのでは?と結局はよく分かっているような分からない状態だ。意味なんて相対主義的なのね。もし正確さを帰すのならば、具体的な中身を開けてみなければならないとは思うのだが。(そこまで探究心がない(汗))
しかし、哲学や思想の類では「モダン」は近代であり「ポストモダン」は近代の後という意味がある。ポストには”進んだ”という意味がある。
近代は個人主義とか民主主義とかに代表される概念を差しており、日本人がそういったものを受け入れたのがいつかというと定かではないが、100年も経ていない。思想としては「ポストモダン」が後に来る。近代の価値観を壊して新たな価値観をこしらえたものと見るのか、近代など人の描いた幻想に過ぎないとニヒリスティックに捉えたりするがいずれにしてもモダンに否定的な態度である。
モダンの意味は、自分がどういう立ち位置で時代とその時代の概念を捉えるかで、ずいぶんと意味が変わってくる。私はどうやら建築的な意味ではなく、思想的な意味でモダンを捉えているらしくて、「モダンな技術」なんていうと何だか古臭くてカビが生えそうなものに聞こえるのだが、相手はどうやら先進的な技術というニュアンスで言っているのだろうと、いちいち頭の中で変換し直しているが、ただただ辛い。意味は相対主義的なんだな。実際にモダンの先を目指して、それで何かいいことがあったか?というとさほどない。
そりゃそうだ。モダンが完全に失われた先にしか、ポストモダンはないのだから、モダンが優れた先進性のある機能的かつ合理的なものだと思っている人たちに理解されるはずもない。どちらも幻想だという意見もあるが、話を戻すとIT技術には一応ソフトウェア的ながらも技術なわけで現実に存在している。ソフトウェア的ながらもそれは実用的であることは否定されない。
そんなわけで、わかったようなわかっているつもりで「モダン」という言葉を使っている個別具体的に深堀りしてみたり、レガシーに対してのカテゴリとしてのモダンというグループからピックアップしてみたりする。ただ、それ以上でもそれ以下でもないが、人と違う定義が前もってインプットされているというのは、白紙であるよりはいいかもしれないが弊害も多いと思い気がする。
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