あまり前知識無しに凶悪なヤツが主人公でヤクザとかが出てくるのサスペンス・アクション的なやつだ…と思ってファブルを読み始めた。まあ確かに凶悪なヤツが主人公で殺し屋なんだけど、殺し屋のファブルこと佐藤明(仮名)が、殺さない1年間を過ごすという不思議なストーリーになっている。
…ちょっとどころじゃなく、だいぶ期待していたのと違うのであるが、評価されているし映画化されてもいるので、まあ楽しいんだろうということで読んでいる。
殺し屋ファブルの付添いの女の子が、ヤクザをベロベロに酔わせて遊んでいる姿をどこかで読んだが…これが『ファブル』のいち描写だったのか。
その時は、それが何が楽しいのか良く分からない描写だったが、やっぱり未だに何をどう楽しんでいいのか、よく分からない描写だ。
ま、ファブルのボスが言うことが真実であれば、殺し屋ファブルが普通の仕事をしてペットを飼って、1年の不殺期間を経てふつうの人間に溶け込んで生きることによって…殺し屋としても一皮むける…っていうヒューマンストーリー仕立てになっていくのかな?という気はしているが。まあ、それはよく分かるのだが、初っ端から最強な殺し屋だけど更に強いキャラとかも出てきそうだし、でも先の展開がはっきりとは読めないという意味では楽しめる。だけど、いいまのところ、ジャッカル富岡という3流のお笑い芸人が好きな変な殺し屋の日常。…極度の猫舌で関西弁、広島弁、標準語…とか5ヵ国語をあやつる?うすた京介が描きそうな設定のギャグキャラ(汗)ただ絵はリアル。殺し屋の殺さない”日常”なのかギャグ漫画なのかよく分からない。少なくともドンパチ戦うシーンはまったくない。
ただ、なんか導入からこう沸き立つものがないので、すぐ読むのやめそうな自分がいる。その一方で…というか、作者はこれどういう心境で書こうと思ったのかな?みたいな別の視点で読んでいる自分がいる。なんというか漫画の展開というよりも、描いている作者の心理状況が気になる。という意味で、すごいいい意味で、不思議。これ作者はどう描きたかったのかな?が初っ端から結構読みすすめたにも関わらずとらえどころがなくてよく分からない。一体どういう気分でこの漫画を描いたんだろう?それがわからんってあんまりなかった気がする。
作者の南 勝久はwikipediaによれば中卒で漫画家デビューしている。高橋ヒロシという人に天才と言われている。うん、なんだか天才の臭いがする。
もう一度言うけど。なんでこういう話を描こうと思ったんだろう?というところが大変気になる。そこにはたぶんそこまではっきりとした理由はないのかもしれないけど、その部分が気になる漫画である。もっと作者について調べればいいのかもしれないけれど、あえて調べないで漫画の方を読んでみよう。面白ければ映画の方も見てみたい。
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