天才ライプニッツがお忍びで会いにきたことを利用し、実像のはっきりしないスピノザを持ち上げるてくる本であった。
がしかし、別にこれといって感じ入るところはなかった(笑)
スピノザって分かるようで分からない、何で此の人をみな褒めるのか、よく分かっていない。
そういえばスピノザ関連で読んだドゥルーズのスピノザもついになにが言いたいのかよくわからなかったので、また機会が合ったら読んでみよう。
スピノザって啓蒙としか信仰とかを大切にしたい日本人には相性がいいのかもしれないが。私はその信仰の根拠が欲しいだけなので、わかったような分からない感じで終わるのかもしれない。
私がスピノザがゆいいつ好きな点は、親兄弟が頓死して(おそらく苦労しながらもいじけた人間性がなく)レンズ職人をやりながら欧州をゆるがす禁書あつかいされる本をいくつも世に送り出したというところだろうか。そういう気迫というか思想というかスピノザそのものがどうして生まれたのか?については知りたい。その答えはこの本にも書いてあった。ラテン語を学び聖書を隅々まで読み込んで矛盾点を顕にしていく”作業”を念入りに行なったそうだ。
なので、此の本の副題も読む人の肖像なのかな。
あともう一つ。スピノザ的自由という解釈は自由の解釈としては正しいと思う。自由は能動的なものではなくて結果論に過ぎない。そういう意味では人は自由ではない。自由意志なんてものは、人間にはおそらく存在しない。
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