ネタバレあり。
本のあらすじ:太宰治の自伝的小説。人に心を許さない男が頭がおかしくなる
太宰治の作品ってとても面白いと思うけど、内容に心の奥底からピン!と来る何かがあるか?と言われると別にない。そんなに共感が多い訳では無い。どうも私は道化のペルソナを被るということがもともとできない性格であるらしい。バカだと思われても”本当”のことをどこかでいいたくなるつーかアウトプットしてなんぼだと思っているふしが在る。さいきんは引っ込めているが。その本当さも”本当”なんだっけ?とよくわかっていないし、”ふつう”ってなんだろう?って今でもわからないでいる、というのが悩みなのである。その本当さは”空気”であるらしくて”論理”で導くものではないらしいというのは分かっているが。いずれにしても、ペルソナ人間の太宰治の気持ちに心底-共鳴しちゃう日本人読者の感性とでも言えばいいのか。ちょっと自分とは相なれないなと思ってしまう。これは逆に言えば、世の中の日本人っていうのは、太宰治のようにみんなとは言わぬまでも多くの人がペルソナを身にまとってなんとか生きているんだね。つらいね。でも、そこまでみんな悩んでいないように見えるんだけどな。
…そういう意味で、どうやら太宰治の感性と自分の感性はあまり合わないようだ。合わないなりにも普通に内容は一定レベル(文章の意味を正確に読解できる)という意味では、おそらく内容が分かっている、わけではあるから、そういう意味では太宰治は疑いなく作家として文章が上手いというのはあるんだろう。最近の太宰治の書評を見ると「美文」として讃えられている事が多い。あまりいい言い方ではないが、卒がなく誰にでも旨い肴みたいなもの、だろうか。この漫画自体はとても雰囲気がでていて悪くないのは、たぶん原作の『人間失格』の内容をまるで私が憶えていないからだろうし、頭の中でイメージ化ができていないからだろう。先に原作の方でイメージができていると、すんなりマンガも入っていかない場合がある。マンガで先に読んでから原作に挑むのなら、あまりそのへんはどんな作品でも違和感はないのかもしれない。
余談だけど。アニメ・推しの子で漫画がドラマ化する時、ドラマの作り手というか業界と大人の事情によってダメになる(三文俳優を売るために、とりあえず見られる作品を作る)みたいな話理由があるが、せいぜいマンガの場合は書き手の絵柄や紙面による構成に制約があるくらいで、あとは作者が下手であることと、作者の主観が自分の主観があっていなくて、構成というか内容からして「違くない?」「そこ重要なところだっけ?」とか「重要なところが描かれてない」って感じにはなるが。そんなに大きく内容と解離しないはずなんだが。
「人間失格」のマンガにでてくる主人公も女たらしで生きるのが下手な感じの人。昭和のホラー漫画テイストで悪くないが、調べてみると人間失格を漫画化した作品はいくらでもでてくる。美男の生きづらさなのでやはり今風の美男子で書いてくれたほうがいいかも。まだ感想を書いていないが同じシリーズの夏目漱石「こころ」も先生と私はボーイズラブなんだから美男子で書いてくれないとダメですね。私は乙女チックの一欠片なんてなんにもないから美男子かどうかなんてどうでもいいと思っていたけど、どうやら乙女チック・メンタル(もっと、適当な言葉があればいいのだが、今は思いつかない)も持ち合わせているようだ。ただ○そ○そ○クニックのマンガがネットでネタで使われる理由も(1つではないだろうけど)絵柄が濃いからであり、あれを今風の美男子にしたらネタにすらならないから何でも感でも自分の感性に合わせられるのも味気が薄れる気がする。
男の人生はせいぜい女と仕事の2つで上手くいくこと=幸せになることかもしれない。物語のもうひとりの主人公?である悪友・堀木のように自らの本心に目を向けずに誤魔化して生きていればいいのに、それができない俺って何なの?と人生を終から始まりまで苦悩して過ごし、27にして狂人になる。というのがあらすじ。なんかエグいよね。こんな世界観で生きていれば、そりゃ死にたくもなるよなという感じ。年齢設定を見ると最初の女は年上でいい感じに紐になったが、主人公の性格により関係性が破綻。後の若い娘との恋はその女が純真から浮気へ転じたことへの絶望みたいな?。マンガだとそう読み取れる気がする。
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