人間が昔から食べてきたものを食べて生きていたいだけなのに、日本政府というか与党が推し進める昆虫食という思想が誰かの利権のために市場にばらまかれている。
まあ結論から言えば、誰かの利権がためなのだろう。。
…別に昆虫食は私たちには関係なくて、食べたい人だけが食べればよいのだ等と割り切っていると、自分たちがふつうの食べ物がそれらに駆逐されて消えていくことすらある。
そうなると、自分たちの食べ物の安全を守るために行動せざるをえなくなる。
当たり前が当たり前のままにあって欲しいと思っているのに、当たり前のために戦わないとダメなのだ。
面倒な世の中だよ。
好きな人達だけでやっていれば何も言わないのに、当たり前をぶっ壊そうとするのだからしょうが無いとはいえ。
「コオロギ給食」への批判が珍しく納得できる理由
https://toyokeizai.net/articles/-/656598
ゲテモノ好きが勝手に食べていれば良いという風潮が、おまえら昆虫食でも食っておけよといわんばかりの空気に変わった。
メディアがコオロギだけを異様に持ち上げるので、自由主義者を自認していても「おや、これはおかしいぞ?」と言わざるをえなくなった。
SDGsを声高に喧伝して「コオロギもありなんじゃね?別に問題ないよ」という空気を醸成していく政府とメディアのタッグコラボにはNo!と突っぱねなければならなくなった。
私はグローバリズムは効率性の面で優れていると思っている方なのだが、すぐに何かと悪用するやつがいるから保守派にならざるをえなくなる。
無政府主義者を自認していても結局は対抗するためにファシストにならざるを得ない世の中が嫌な感じだよほんと。
まあ、みんなでわーわーやっているのは、楽しいとも思うけどね。
つーわけで、コオロギは食べたくない。
SDGsの傘の下で昆虫食をすすめたり、多様性の傘の下でLGBTQ+の権利を拡大して、普通を阻害する風潮にNo!を言おう。
一見正しい主張すなわち正論の裏側には、必ず悪意のある意図がある。前はそんなことはなかったと思っていたのだが。
私はただ正しいことを正しいといいたいだけなのだが、その正しさを利用して悪いことや損することを突きつけてヤツらは選択を迫ってくる!戦争やテロの名のもとに国民生活や国民経済を貶める増税や法整備が行ってくる!…のであれば、いやはや…それらにはすべて反対する必要がある。
正しいこと事態は正しいのに、それにうなづいてしまうと、一緒にゴミのような主張もなだれ込んでくるから、時に正しいことも否定しなければやってられなくなる。今はそんな時代だ。頭がおかしくなりそうだし、あべこべだと感じることもあるが、そのへんの正誤を見極めた上で情報の取捨選択を行っていかなければならない。
最初は肯定的に受け止めていても朝三暮四で変えていかねばならない(朝三暮四を肯定的な意味でも言っていますが)。すこし時が経てば、それがすべて画策された計画すなわち”嘘だった”ということがこれからいくらでも起こりうる。その都度、私たちは考えを訂正して最適な答えを選び取っていかねばならないんだなあ。
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