武士道について書かれた『葉隠』の山本常朝(やまもとじょうちょう)は「大事の思案は軽く、小事の思案は重く」と言うようなことを述べているらしい。元ネタは戦国武将の鍋島直茂で、大きな決断は悩みすぎずに軽くやれ!というニュアンスに対して、だったら「小さいことは大いに重く受け止めて考えるべし」と後付けしたほうが、大事と小事の対処方法の違いが対となってまとまりがいいという理由でそうしただけの気がしないでもありませんが、水戸光圀とか福沢諭吉も似たようなことを述べています。私の気のせいだとしたら、すげー適当な膨らまし方をみんな疑いもせずしている。しかし、考えてみれば考えるという行いは日々の小事ぐらいしか本来ないのであるから当然な気もする…というわけで、私もそんな適当な言葉に乗せられて人間の小事について重く受け止めて努々考えることに妥協したくないのであります。
アルフレッド・アドラーはトラウマなんてないと言っていた気がするが、、いじめという過去の辛い経験によって、MRIで観察できる程度には物理的に(不可逆的に)脳がダメージを受けると解釈してもいいことだよね、これ「若い頃のいじめ被害→長年にわたって脳構造が変化 2000人以上を調査 男女で異なる変化も」脳=心なわけで「体の傷はいつか消えるが、心の傷は消えないよ」などとなにか、意味深な言葉にはやはり科学的にも物理的にも観察できる現象なんだってことなのだろう。変化なんて優しい言葉になっているが、ようはいじめは脳を破壊するってこと。思い当たるフシがある人は「そうだよね、前から知っていた」って感覚では?(Xでこの話題でそう言っていた人がいたし私もそうだろうと思った)。過去の記憶はなかなか消えないよ。
いじめは耐えて乗り越える根性論なんてもとより不要で、脳に状態変化を起こさせないように適宜対処(つまり徹底的に排除)すべき。心を強くする訓練みたいなものを全否定するつもりはない。自分の意思で戸塚ヨットスクールや男塾に入るならそれもよしで、別にスポ根とかをすべて否定するつもりはないのだけれど、人為的な人間付き合いにおける不愉快な出来事なんてないにこしたことがない。いじめにかぎらず人間関係のストレスと言い換えてもいいとおもうが、ストレスは知らず知らず人間の脳を蝕み、本来あるべき感受性にすら支障をきたす事にもう少し私たちは過敏になったほうがいい。
西尾幹二が亡くなり西部邁は保守なのか?という疑問があり、まごうことなき保守という意見がSNSでは大多数なようだけど、私にはとても違和感がある。元左翼の話が好きな好々爺(こうこうや)というイメージしかない。「『続・言いたい放だい』 2008年11月15日放送」…言いたい放題に続シリーズがあったのか。ちなみに言いたい放題と言えば尊敬する思想家?に野末陳平がいるが、この人は92歳で存命でXでも発信されている。今回の番組では、富岡幸一郎という人と、秋山祐徳太子(あきやまゆうとくたいし)が登場して若者の悩みにのる。いじめについてはモラトリアム期間に自分の世界をつくれというのが助言。昭和のお悩み相談でこれじゃあ全然解決になってない。
「若い頃の苦労は勝手でもしろ」って言うのは「20歳で蟹工船に乗ること」ではなく「然るべき努力をせよ」だと思う。小説家になりたいなら、苦労して人間の心を知る経験を積むよりも、旅行など自分の見ている世界を変える方法はいくらでもあるし、文芸のテクニックを地道に磨くほうがまだ可能性の目が出るのでは。
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